NSPファンの皆さんへ
田コロ・ライブ音源の編集がやっと終了しました。
気にすれば全てが気になり、編集中に何度も萎えそうになりましたが、
天野がいたNSPをファンに届けることを一番に思いながら、なんとか辿り着きました。
まだちょっとだけ罪悪感はありますが(笑)、皆さんの反応が今から楽しみです。
改めて聴くと、どうやらあの憎き雨が感動的なステージにしてくれたようです。
個人的には初の大規模な野外コンサートでしたが、あのステージがその後の自分を大きく
変えてくれた節目のコンサートでもありました。きっと中村くんも何か手応えを感じたと思います。
何はともあれ、このライブ音源がCD化されて皆さんのお手元に届くまで、あと2ヶ月を切りました。
この間のトリビュート・ライブのムービー上映会にもたくさんの方々にお集まりいただきましたが、
この田コロ・ライブにはもっともっと集まっていただいていたはずです(笑)。
そうです!あの日に足を運んだ方々にはもちろんのこと、行きたくても行けなかった方々にも
絶対に聴いて欲しいのです。益々NSPそして天野くんのことが好きになるはずです。
是非!苦労して許諾を頂いた当時の模様を詳細にレポートしているG.B(ギターブック)の記事とともに
「全力投球全曲収録」した作品をよろしくお願いします。
皆さんは「19800802」のこの日、どこで何をしていましたか?
平賀和人
【予約購入特典付き】NSP+雨の田園コロシアム・ライブ19800802
先ずは編集作業、お疲れさんでしたァ♪
ファンの我儘にどこまでも付き合ってくれて。。。有り難う!m(._.)m
そして、
再びの天野クン、nspに出逢わせてくれて。。。嬉しいょ。(t_t)
nspの平賀より、nspファンの皆様へ(nspの平賀くん)
この 一行だけで 涙涙です。
田園コロシアムライブの音源編集 お疲れさまでした。
1980年8月2日
当時は 田コロライブがあったことも 知らなかった私です。
時を超え あの時のライブに 行くことが出来るような
わくわくした気持ちです。
平賀さん 皆さま 本当にありがとうございます。
8月2日を 楽しみにしています。
辛かった(笑)。
当時行きたくても行けなかった中学生からの一通の手紙・・・音楽雑誌のライブレポートを何度も何度も読みながら想像する毎日を今日まで送ってきました。出来れば平賀君にトークだけではなく、どんなライブだったのかファンの一人として知りたいのです・・・とライブレポート記事のコピーを添えて。そこには当日の詳細なレポートが。ガッツかな?新譜ジャーナルだったか?いや、ヤングセンスだったような・・・無我夢中で探しました。最悪でした。ポニーキャニオンの宿敵ソニー、ソニーマガジンから出ていたギターブックの季刊号でした(笑)。この子のために一丁やるか!今思えば、そこがターニングポイントだったように思います。
2002年の復活ライブもそうでしたが、初めて動くnspを見たっていう人が多くいて驚いたものです。考えてみれば当時小学生、中学生でおませな君たちはレコードで天野くんの歌う歌詞に声にドキドキしながらも親や学校の校則に縛られてレコードや雑誌で情報を知ることは出来たけれどコンサートは見ることが出来なかったんですよね。復活コンサートは見れましたか?あの時と同じ天野くんが田コロにもいますよ。改めて思います。彼の凄いところはいつでもどこでも等身大で自然体だった、ということです。
田コロライブの音源公開ありがとうございます。
そして、編集終了~お疲れさまでした、感謝しますm(__)m。
nspはライブが愉しい!!!
田コロには残念ながら駆けつけられませんでした。
その日に何をしていたのかさえ定かではありませんm(__)m。
10th anniversary 「cdボーナス盤」での「おしゃべり」音源は、逆に想像が膨らみました。「雨の日で寒かったんだろな」「風邪ひかなかったな」と。田コロcdは今から、とても楽しみにしています。
それから。
平賀さんの、面影橋さんへのお返事で、ず~っと昔のことを思い出しました。
nspがプロデビューする前のアマチュア時代のこと。
岩手県南地区在住の私でしたが、ibcラジオで初めてnspを知りました。
ファースト「lpレコード」が発売され、一関でのコンサートがあることを知った私。
当時中学生だった私が、nspのコンサートを見るためには、親を説得しなくちゃ!!!
そこで。ベンチャーズのコピーバンドが趣味の従兄に頼み込みました。従兄は、即、理解。
従兄の「nspは健全」との「お墨付き」が父を説得して、従兄の送迎、兼「付き添い」のも、一関のコンサートへ出かけることへの親の許可がでました。
こうして、初めてのコンサートへ。。。コンサートではすっかり感激してしまい、涙、涙。。。だったのを覚えています。
それから、第一志望の高校へも進学を果たし、父親の理解もあって、nspを追いかけて、「一関」はもちろん、「北上」、「盛岡」、「遠野」。。。追いかけて、追いかけて、無事に、非常に健全に成長しました(*^_^*)。
いつも、遠くから、ただnspを見つめるだけの、内気なおさげ髪の少女。。。そんな時代がありました。
当時中学生だった私が、nspのコンサートを見ることができたのは、親の理解あってのこと、だったってこと、改めて思い出しました(t_t)。父が他界してから、10年。今更ですが、父には感謝(t_t)。
平賀さんも関さんも、マメにレスなさってますねぇ
[虎ノ門]の頃を思い出します
あっちのスレには、後程pcから
親が「ニュー・サディスティック・ピンク」と聞いたら見に行くのを許してはくれませんよね。特にかわいい娘さんだったとしたら尚更そんなコンサートには行かせたくなかったでしょうね。当時としては滅茶苦茶理解のあるお父さんでしたね!ラッキーでした。僕らが中学生だった頃は親の目を盗んで友達と映画館に行くのがせいぜいでした(笑)「007シリーズ」…ちょっとしたラブシーンにドキドキしたものです。
目に耳にすることができるんですね~!!田コロの三人の勇士を・・・
1980年8月2日、その前年に結婚して確か長男がお腹にいたような・・、、もちろん行ってませんし、田コロがあったことも知らなかった。結婚と同時にnspは卒業?したつもりでした。
しかし、しかし、復活していると風の噂に聞いて、やっとこさ行けたライブが、最後の新潟公演。
天野さんの病気のことも知らず、まったく無知なまま、たった一回だけの復活後のライブでした。
それまでも、田舎住まいの私は一回しかライブにいってなくて(その頃はコンサートといってましたね)、その日はあの酒田大火の日!!コンサートは中止になって、みんなが残念がりながらも家に帰っていく中で、最後まで残っていた私と弟だけ楽屋に呼んでもらえたときの嬉しさといったら・・・
目の前に写真でしか見たことのない3人が・・・、夢じゃないかしら?中村さんがいろいろ話しかけてくれたのを覚えています。ポスターにサインもらって、ごきげんで帰りました(舞い上がってた私には火事なんて目じゃなかった)翌日被害の大きさに驚いたわけでしたが。
そんな大火とnspっていう変な取り合わせですが、私の中では一生忘れられない思い出です。
これからは知らなかった田コロの話題についていける・・・、ほんとに待ち遠しいです!!
(*^_^*)平賀さん、お返事ありがとうございます。
まさか、平賀さんにお返事いただけるなどとは。。。生きていると、こんな善いこともあります。
とても嬉しいです。身に余る幸せm(__)m。
しかし。nspの名誉?のために、是非とも、訂正せねば。。。
>親が「ニュー・サディスティック・ピンク」と聞いたら見に行くのを許してはくれませんよね。。。。
>。。。。尚更そんなコンサートには行かせたくなかったでしょうね。
そんな~ことはありません!
nspだから、だめ、などと禁止されたことは、一度もありませんでした。
(否。むしろ父は、nspには好意的だった、と思います。)
父は、単純に、私の帰りが夜遅くなることに反対した、だけだったと思います。
そして、反体して私が止めるかどうか、を試したのかもしれません。
反対して止めるくらなら、最初から問題外だったのでしょう。
そこで私が引きさがらなかったので、父は案外悩んだでしょうね。
従兄が仲介して、介添えを申し出てくれて、ホッとしたのは案外、父だったのかもしれません。
私がまだ高校在学中で、nspの何度目かの盛岡でのコンサートが予定されていた時のこと。
私が放課後に、友人と盛岡のコンサートに駆けつける予定だと知ると、父は、車で盛岡まで送ることを申し出てくれたことがありました。
新幹線が無かった時代なので、父のお陰でコンサートの開始時間に、無事に間に合った。。。そんなことまで思い出しました(t_t)。
今、気づくのも遅すぎですが、ほんとに、理解深い父親だったんですね。
平賀さんの洞察に感謝、感謝です。
ありがとうございましたm(__)m。
酒田の大火事ですか…。リハーサルまでは順調だったんですが、風の影響でうまく消し止められなかったみたいで、僕らも急遽、高台にあるホテルで待機しながら見守るしかありませんでした。その一年後か二年後に立ち直りつつある酒田で改めてコンサートを行った記憶があります。恐い思いと信じられないような嬉しい思いを一日で体験したわけですね。嵐を呼ぶ男、中村くんに会ったら伝えておきますね、憶えているかどうか不安ですが…(笑)復活後も貴重なライブに立ち会って頂き感謝です。
嵐を呼ぶ男、中村君のせいでしたか??田コロも酒田大火も・・・(笑)
「ねー、かな!」と呼ばれたようで、タイトルもかなり嬉しいです。
やはり、あの大火の印象は強烈なものだったんですね?
確か1年後だったと思いますが、改めてのコンサートにもちろん駆けつけましたよ。
曲が流れ幕があがるとステージの上に三人が立っていて・・・、初めてみるステージ姿でしたが、楽屋で身近に見ることができた三人が、やっぱりスターだったんだと思い知らされたようで、一抹の寂しさも感じたものです。
その後、中村さんにはライブで、平賀さんとも去年一関の某イベントでお会い出来ました。
いつまでもファンを大事にしてくださるnspは凄いですし、忘れないファンも凄いです。
平賀さんにも感謝しております。ありがとうございました。そして、これからもよろしくです。
ニューサディスティックピンクショー。。。
おやぢがいっぱい来たってmc 覚えてます^^
実家の母は いつもコンサートに着いてきたがって困りました
今でもcdが欲しいって言ってる。。。どうしましょ。。。
忘れもしない、山形でのコンサート。会館の入口に「ニュー・サディスティック・ピンク・ショウ」の派手な看板が。間違いではないし、僕らにもあんまり違和感がなかったんですが、心の中では「ショウ」じゃなくて「コンサート」なんだけどな、みたいな気持は少しありました。チケットが今一つ売れていなかったのか、宣伝カーが市内を徘徊しながら叫んでいます「今夜ニュー・サディスティック・ピンク・ショウがあります」と。いざ本番。どん帳が上がった途端、いつもなら女性陣が居るはずの前列に陣取った男性らに戸惑う僕ら。急に現れた3人組の男性と歌い始めた僕らに戸惑う客の男性陣。しっくりこない雰囲気の中でそれでも2,3曲歌い終わった時に、客席の男性陣から「前座は引っ込めー、早くショウを始めろー!メインを出せー!」戸惑いながら天野くんが「あの・・・僕らがメインのニュー・サディスティック・ピンクです、興味ないなら帰ってください」と、その途端にドッと前列5列くらいに集まっていた男性陣が退場されました(笑)。ポッカリ空いた前列に「後ろの皆さん、良ければ前のほうへどうぞ」と気の利いた天野くんのコメント。そこからは落ち着いて出来ましたが、いやあ…今だから笑える話ですが、あのギラギラした男性陣の眼差しは忘れられません。
仕事から帰ってきたら 不在通知がポストに。
いよいよ 今日ですね。
平賀さん はじめ ポニーキャニオンのみなさま
ありがとうございました。
ここがなくなるのが すごく残念です。
今夜、この掲示板を 全部コピーしておきたいと思ってます。
なので まだ 残しておいてくださるようお願いします m(__)m
大丈夫だょ~♪芳麗さん。(^_^;)
ココが無くなってしまったらポニキャン商品売れなくなっちゃうでしょ(>_<)
平賀クン登場は「期間限定」でも。。。
関店長のコノblogはズーーーット続いて行くのょ(^^)v
全然慌ててコピーすることないッスょ~(笑)
楽天ショップからポニキャンが撤退するまでは(縁起でも無いなぁ。。)読み放題なんだからね(^_-)-☆
平賀クンにはもっともっと頑張って貰って!
次の企画練って頂きましょ♪♪♪
勿論我々nspファンも、吉報は寝て待ってるダケじゃあ芸が無いょ(´~`;)
行動しませんか?
なんでもいいから。
乱魔さんが気づいてくれた(^^;
間の悪いところに 書いちゃったなあ・・・と小さくなってました(あほあほ^^)
今日 職場で すごく理不尽な思いしてきたので
全然関係ないのに
乱魔さんが書いてくれたことに 心が氷解していくようです^^
そうですか!!
ここはあるんですね♪
いいでしょうか?
私 思い出せないのに思い出したい 天野くんの歌声が
ずっとずっと心に ひっかかっているんですよ。
『でたらめ英語の歌』
一ノ関だったか 東京だったかの会場で
最後の最後まで 流れていたエンディングソング
あの天野くんの歌声に 最後の最後まで 見送られて会場を
去りました。
あの音源は オルゴールnspの第3弾に 付録としてつけて欲しいなぁ・・・・と
切望しています。
平賀さん、ここ 見てくれるかな
当時17歳の私は仲の良いクラスメイトに付き合ってもらって、ライブ参戦デビューを果たしたのでした。あの日の雨の降りようは強かったですね。fc発行のサポーターを大事に付けて行ったのにビショビショにしてしまったのを覚えています。ひしめくビニール傘から雨粒が滴り落ち、どの席のお客さんもずぶ濡れだったけど笑顔でした。あの時のダブルアンコールも嬉しかったなぁ。
社会人となり、結婚して母となり、時間の余裕もなく走ってきて最近ようやく自分の時間が持てるようになりました。
天野くんが亡くなったのを知ったのもつい最近なんです。寂しくて切なくて、またnspの曲を聴きたくて。不思議なもので口ずさんでいたあの頃の歌はしっかり頭の片隅に残って口をついて出てきます。
店長の部屋の存在、スリハンの活動を知り、nspの世界に戻れる何とも温かい気持ちです。
ソールドアウトの数々の再販も待っていま~す(願)。