雫石『ゆこたんの森の宿』で開催された高専時代の
同級会を兼ねた還暦を祝う会。
宴もたけなわ…
坊さんじゃないですよ、同級生です。
「余計なモノはすべて捨てた!」と(笑)
思わず御利益がありそうなので、「ちょっと触らせて~」とガブッ!!
周りの同級生も、「俺も俺も~」「やめろ~」
「どらどら、俺にも触らせろ~」「やめさせろ~、ひらがあ~、バカやろ~!!」
宴もたけなわから、さらにたけなわへ(笑)
もう画像では…そして入浴シーンを期待したシミミさんはじめ多くのフニャッチファンのみなさん、
期待を裏切ってしまい、申し訳ありません(笑)(笑)入浴する時間などありませんでした(泣)
台風一過とまではいきませんでしたが、還暦ゴルフ大会は虹の出迎えで始まりました。
さすがに山岳コース「雫石ゴルフ場C.C」は二日酔いも吹き飛ばしてくれるほどヒンヤリ感満載。
でも景色が、紅葉が素晴らしいです。本当に得した気分です。肉眼で見て欲しい…
岩手山は初冠雪をとっくに済ませていたんですね。そんな癒しの風景に包まれながら…
濃い5年間を過ごした仲間に囲まれながら…
最高の時間を過ごすことができました。
還暦の会では急遽、乾杯のあいさつを頼まれ、
「古稀でまた会おう!!」(爆)
NSPの平賀(時々ハンサム3号)
久しぶりの本格的な紅葉で感動しました。しかし、これで二度目です。温泉宿に泊まって温泉に入れなかったのは(笑)それも二度とも還暦の会…大嫌いだ~!還暦なんて(笑)しかも声まで枯れて…今日もみんなから「平賀さん、風邪ですか?」まあ、そのようなものでしょ!悪い友達を持ったもんです(笑)(笑)
あは、いいお友達がいて幸せですね。
みんな欠けずに古希にまたゴルフができればいいですねー。ヽ(*´∀`)ノ
まぁ~~ピカピカ、つやつやなお尻が、いっぱいっ!……って違うか(゜゜;)\(–;)
本当に御利益ありそうですね♪
皆さん、イイ顔してます(*^^*)
素敵な仲間達は、永遠ですね。
やっぱり平賀さんが一番かっこいい!!
先週某ラジオ番組で、西城秀樹さんが「ヒデキ、還暦!」と言ったそう。
平賀クンも負けずに?「ヒラガ、還暦!」て言ってね(笑)
平賀さん、若い!! とても同級生には見えませんね。 ってゆうか、見事にツルッツル・・・ 平賀さんの、昔のイメージは、髪が多くて、いつもボッサボサ。lpのジャケットとかに写ってる写真は、なんで写真とるのに散髪いかんのやろ・・と思うくらい、ウットオシクなかったですか? 天野さんの、サラサラヘアーとは対照的でしたね。
高専なので、見事に女っ気無しで、違う意味、天晴れですね(笑) 楽しそうで、皆さんお若い!
次は古稀って、あと10年。きっとそんな変わりませんよ(笑)
パワー感じますよ。
東北、紅葉のシーズン到来ですね。
きれいな景色、ありがとうございましたm(_ _)m
生まれて初めて虹の根っこを見た気がしました。根っこはでかかったよ~~。周りの景色が七色なんだから(当たり前か!)本当はもっと綺麗だったんですが…僕のデジカメちゃんが言う事聞かなくて(笑)あま絶景に圧倒されたのかも。ねこさん、なに?髪がボサボサでウットオシイ?ヘルメット代わりでしたから、乗っかっていればそれで十分十分。天野くん…サラサラヘアー???直毛のこと?天野くんは一時タマゴシャンプーか洗濯石鹸でシャンプーしていました(笑)好きな人は限りなくすべてが輝いて見えていたんだね、羨ましい――(爆)
仙台の某所で見てました。ほんとに根っこの大きな虹でした(^-^)
それにしても、平賀くん。若い!!
平賀さん、
清々しい笑顔、
清々しい青空、、
岩手、雫石の空気も感じるようなお話、写真、
ありがとうございます。
こちらのドアを開けて、、
平賀さん、
皆さんに会えて
うれしいな(*^^*)
なんだか
穏やかな気持ちになれます。
遠く
鹿児島の空の下でも。
平賀さん、若いですね~☆
他の同級生とは、同じトシには
見えません。
皆さん、とても、ご立派なピカピカで、眩しい限りで(^o^)
雫石はスキー場に、ハマって、何十回か行きました。
岩手は、大好き◎
虹は、わんこ、散歩した時見ました
田舎なので、障害物がなく、とても大きい綺麗ない虹でした。
還暦祝楽しそうで、良かったですね
一関離れて40年も過ぎてるのに
まだ、付き合いがあるって
素晴らしいです♪
何もかも捨て去るなんて、潔くてカッコイイー!!
眩しすぎる還暦の男子会、なんか愉しそうで羨ましい~(*'▽'*)
枚目の写真見たときは恩師?
2枚目、3枚目と進むうちどこかの寺の講和会?
平賀サンがいなけりゃ自治会の世話役の寄り合いにしか見えない(失礼)
学生時代っていいですね~!
男子は化粧でけへんし、ごまかしきかんもんね。
そのうち私も性別不明になるのかしらん… 化粧だけはしとかな
いや平賀さん若い!! 58歳くらいに見えるって~ (1歳だけかい)
ウソウソもっと若いですよ☆
演奏してる時の リズムとりの膝屈伸 可愛い!頑張って続けてネ(世田谷育ちの
グ〇コサミン飲んでね~)
冒頭の 枚目 ⇒⇒1枚目
すみましぇん。>.<
担任、顧問の先生方との写真!!!じゃないって~???
平賀さん 若すぎw あたま・・・毛・・・ありすぎ!^^
と、思って見てました( ・ _ ・ )ジー
センターの方は昔からイジられ役のお方でしょうかw
お茶目で 楽しそうな写真アップありがとうございます♪
平賀さんは 教え子にしか 見えませ~ん(笑)
ホント お若いです。
虹の向こうは晴れなのかしら♪♪
こちらは やっと涼しくなったから 紅葉は
まだです。
同じクラスというだけでしたが、当時はどちらかというと無口でおとなしい性格だったんですが、やはり40年という月日は大きいですね。何をやってもやられても受け入れる心というもの自然に身につけるんですね(笑)そんな中、一番驚いたのが4年生かな?5年生だったかな?工場見学を兼ねた修学旅行時の写真を大切に持っていた同級生がいて、宿泊先やいろんな場面写真を画像化していて…懐かしかったです。その同級生にはブログに掲載したいから送ってとお願いしたんですが…もしも届いたらアップさせてくださいね。若いのは当たり前なんですが、その頃から僕はやはり輝いて見えました(爆)残念ながら天野くんはこの旅行には参加していません。中村くんも…旅行代金を違うことに使ったようで(笑)参加出来ませんでした。まあ強制ではなかったので。60歳というのはぶっちゃけ微妙な年齢です。一部の人を除いては天野くんではありませんが「これから、どう生きるか」が重くのしかかってくる悩ましく複雑なお年頃なんだとつくづく感じています。それでも僕の同級生たちはお互い元気を貰いながら今日も何かに拘りながら生きていると思います。虹と紅葉と仲間たち…忘れられない最高の1ページとなりました。
先週の金曜日の夜、友人夫婦と食事をしていた時のこと。いきなり携帯が鳴ります。元ヤマハの原盤ディレクターだった萩原さんからでした、6年振りだったでしょうか。こういう時って相手に何らかの意図があるわけで…ちょっと躊躇しましたが、恩人でもある方なので出ました。案の定、重い話でした。でも僕でないと理解出来ない話だったので…多分、そんな人と話がしたかったんだと思います。昔のようにブラックジョークを交えて会話が続くと自分を取り戻すとともに大分落ち着いたようで、そのうち「やっぱりnspは最高だったなあ~」となり「天野くんはホントに天才でしたね」さらに「なんであの若さであんな詞が描けたんでしょうね」と。そして彼なりに分析して「東京で生まれ育って中学で一関に引っ越したんですよね。東京から見た岩手、そして岩手から見た東京をイメージできていたんでしょうねえ…あとはセンスでしょうね…」と結んでいましたが、その通りだと思いました。天野くんの自信作にダメだしして、「八十八夜」を書かせたディレクター。納得するまで涙を流しながら粘る天野くん。初めて人前で泣いた天野くんを目の当たりにして動揺を隠せなかったことを思い出し伝えると「そうでした!そんな事もありましたね。あん時はビックリしましたよ~、でもね平賀くん、nspのシングルはこれもんでないとね」と。多分電話の向こうで右目尻に右手の人差し指を置いてツツ~と下に涙の仕草をしてるんだろうなあと想像しながら、結局45分も話し続けてしまい、美味しい料理のおもてなしを台無しにしたのでした。でもあの時は確かに萩原さんは僕を必要としていました。友人夫婦にはゴメンゴメンして、もう一度おもてなしを宜しくとお願いして「また明日!」と別れたのでした(笑)
nspを聴いた息子は、「なんか、ネガティブな気持ちに、なるなぁ~!」と、言います。
その泣けるところが、天野ワールド。
15、6才の乙女の心に、染み込んでしまいましたね。
天野君の、育った環境は知りませんでしたが、
清い人だったんだと思います。
「憎まれっこ、世にはばかる」と、反対の天野君だったんですね。
平賀さん ありがとうございます。
涙涙です。
nspの歌が好き もう 好きって言葉だけでは あらわせないくらい 大好きで
もう nsp病としか 表現できないくらいです。
みんなの 1曲目で よけいに 進行してます。
平賀さんからの 貴重なお話が
特効薬かなぁ…
バラード集の 1曲目も
収録曲も すっごく楽しみです。
八十八夜 天野さんが涙して作った歌だなんて 思いもしませんでした。n.s.pの 女目線の歌 cdに収める位曲数があるんでしたら 是非ですよね。
恐れ多くも、萩原さんと同じことをを感じていました。
心の機微を捕えた歌詞にドキッとさせられる事があります。
例えば”祭りばやし…”が好きなのも同じ所以です。
”道草しながら帰った時は、広い道だと思ってた…こんな小道と気づく”
同じ気持ちを抱いたのは30歳を大分過ぎていました。なのに天野さんはあの若さでこの詩を作っていたのかと思うと、彼の繊細な感受性に感服していました。
少年時代、東京⇒一関⇒東京と居を移したことによって、離れて初めて見えてくるものも多々あったのだと思います。
今となっては予想でしかありませんが…。
”これから、どういきるか?”は天野さんの言葉ですね?
”どれだけ”ではなく”どこで”でもなく”どういきるか”…
いい言葉ですね。
久しぶりに「as…めぐり逢いはすべてを超えて」を観て
ココで天野さんを語ってくださっている方たちはお元気なんだろうか?
と気になりました。
萩原さんお元気なんですね~よかった!
たしか~
八十八夜は 違うメロディーがついてたのを 書き直したんですよね?
今の曲も コーラスも
もちろん詩も 大好きだけど
元のメロディーは どんなんだったのか 聴いてみたいです。
スリ―コードではありませんでしたね(笑)もっとポップで、タイトルも違っていたと思います。思いっきり書き直したんです。ビックリしました!それもディレクターの要望に応えるようにスリ―コードで…「雨は似合わない」以来だったでしょうか。3日か4日で完成させたんですが、歌詞も初めて女性目線…本当に驚いたとともに、僕は個人的に「ベース…どうやって弾くんだよ(笑)」と物足りなさとスリ―コードに困惑気味でした(笑)そして、結果ヒットはしましたが、周りからの僕らのイメージもこの曲で固まった気がしました。でも世間は僕らにこういう作品を求めている、ということも今は理解出来ます。あの時の僕と天野くんは、もっとロッカーのようにギラギラしてましたから(爆)そして同じような出来事が「雪のララバイ」で起こり、萩原さんとはこの作品で離れることになります。その時は大人対子供ではなく大人対大人のプライドのぶつかり合い、お互いを理解、リスペクトしながらも譲れない何かが働いたのだと思います。いけね、会議です。
この曲で、初めてn.s.pをテレビで見ました。”夜のヒットスタジオ”だったかな・・・そんな、涙を流して作った曲だったんですね。”でも世間は僕らにこういう作品を求めている” これは確かにそうですね。 n.s.p らしい曲ですもの。
『雪のララバイ』の歌詞ったら女性ファン好み★だと思うんだが。
まんずライブでも演らないし。。コメントでも決して触れようとはしないし。。。
おっかなくて!天野クンにも平賀クンにもコノ曲に関しては振れなかったゎ(-""-;)
今だから話せる、今だから落ち着いて聞ける、「八十八夜」「雪のララバイ」の制作秘話。
聴いてる(読んでる)こちらにも、しみじみと感慨深いものがありますね。
それにしても雪ララの歌詞は、女性にとってほんとに共感できるものですけど、
それが書ける天野さんって、すごい。( ̄▽ ̄;)
こういったお話が聞けるこのブログは、我々中高年のnspファンにとって大切な場所です。
こんなエピソード、またいつかよろしくお願いします。
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タイトルと名前が逆になっちゃった。(^_^;)
五木も竹田も 子守奉公の愚痴みたいな歌詞が入っていますが 雪のララバイも出だしが 愚痴っぽいですよね 私も愚痴を言って自分を癒す時があるんですよね~ 深く考えると眠れなくなるんですよ 平賀さん。
何も知らずに聴いてたけど八十八夜がそんな風にして生まれた曲だったとは。。
曲が発売になるまでに色々なことがあるんですね。。
雪のララバイって触れちゃいけない曲?だからアルバムに入ってないんですか?
ここで色んなエピソードを教えて貰えて嬉しいです♪
まだまだどんなことでも知りたいな。(^^)。
天野クンは凄い!!!
天才です!!!
きっと萩原さんは、天野クンの才能を、わかってらしたんですね。ダメ出ししても天野クンなら、もっと良い曲ができるって確信があったのでは…?
天野クンも、泣きながら踏ん張って、踏ん張って…八十八夜が生まれた。
最後まで諦めない、その精神。
天野クン、私もそんな風に歩いていきたいです。
平賀さん『八十八夜』物語、ありがとうございます(tot)
だから、最後の最後までスタッフを信じて、自分を封印して「雪のララバイ」を完成させたんだと思います。繰り返しのaメロを普通にイントロの流れでベースを弾き出すと「ひらが!普通に弾かないで!!裏メロッぽいフレーズにしてくれる?」と…イメージが湧かなくて頭抱えて(笑)この曲は一時歌詞のように積もった雪に埋もれてしまいましたが、とても人気のあった曲でもあります。でも売れないといけなかった曲でもあるんです。収録されえることになったのは結局20世紀最後の年2000年だったでしょうか…『nspシングルコレクション』さすがに入れざるを得ません(笑)だから2005年の渋公のコンサートで歌うことになった時は本当に驚きましたが、実は萩原さんがコンサートにいらっしゃっていたんですね。天野くん流の最後の挨拶だったと思います。萩原さんも、嬉しかったと容易に想像出来ます。だって僕らのヒットシングルはすべて萩原さんと共に…でしたから。
だめだ、だめだ、だめだ、だめだ。
今日はもうだめだ。
こ~~~んな話聞かされて仕事なんてしてられっかょ゜゜(´o`)°゜
天野クン、天野クン、天野クン、天野クン。
天野クン、会いたいよぅ。。。。。
どこ行っちゃったんだよぅ。。。。。
天野クン。。。
これから
『雪のララバイ』聴きます
nspの曲の中で
一番の 泣け唄なんです
辛い時 何度何度も聴いていました。
今日は 久しぶりに 繰り返し~
聴きました((t_t))
平賀さん ありがとうございます((t_t))
言葉になりません。
八十八夜も 一昨日 聴きました。
たくさんの曲が 私の中で
特別な曲になっていきます。
youtubeで見ました。
渋谷公会堂と、リハーサル風景。
感慨深く拝見、拝聴しました。
江戸子守唄の【坊やは良い子だネンネしな】の要素が ララバイの二番の歌詞に見られますね 楽しかった時の幸せ感を思いだし 外で雪が大暴れしようが 愚痴を言ってる間に朝になろうが 突然貴方が……と 良い子になって自分を あやしてます 天野さんは 歌詞の中の女性を 愚痴は言い出したが良い気持ちになって 眠りに就いてもらいたかった 子守唄ですね 素晴らしいと思います。独りよがりの感想でした スミマセン。
弟さん、香月(かつき)さんが昨日の夕方、この世を去りました。香月さんはお兄さんのバンドのドラマーで、僕らnspのデビュー前のデモテープでもドラムを叩いてくれています。「新青春」「あせ」…結局この時のデモテープがそのまま世に出てしまうわけですが(笑)ハイハットに癖のある人で僕は好きではありませんでした(爆)いいんです!質の高いブラックジョークを僕らに伝授したのはこの兄弟ですから。あとポプコンの全国大会でも何故か叩いています。この間リリースした企画アルバム『summer solstice』のおまけに収録した「あせ」ですね。最近だと知る人ぞ知るエレックレコードの代表取締役でもありました。数年前に貴重なアーティストの音源が続々とうちから再発されており、その打ち合わせで会社にみえると必ず僕の所に来ては「平ちゃ~ん、元気~!」と…なので幸か不幸か僕は香月さんの元気な姿しか目に焼き付いていないのです…みなさんにも似たような出来事がありましたね。目の前から元気な姿でいきなり消えた人(爆)いつまでも受け止められないとか、信じないとか納得できないとか言っていると化けても出て来ないし、夢の中なんて言語道断!出て来たとしても悲しい表情をしてるような気がします。天野くんと香月さん…ブラックジョークが飛び交うんだろうなあ…楽しそうだなあ…本当に涙が出るぐらいブラックなんだから(笑)香月さん、いろいろとありがとうございました、ゆっくり休んでくださいね。合掌!!
合掌。
ありがとうございました。
人がいなくなるの嫌だ
知らない人でも悲しい。
まして知人はなおつらい。
大好きなひとは。。。。。 考えたくない。
ステキなお名前ですね。。
そして今日初めて聞いたタイコのエピソード。。。
この場所で教えてくれて有り難う。
平賀クンの音楽人生には♪本当にステキな方々が関わっているんだ~ね。
香月さん。
どうぞ安らかにお眠り下さい。。。
萩原さんとのエピソードを 教えて頂いたばかりなので 驚きました。
平賀さんに 教えて頂いたことで、 香月さんの お名前と 音は 私たちの心に 刻まれます。
合掌
いろんな所で語っていますからファンの皆さんは御存じかとは思いますが…。てっきり「あせ」でデビューすると思っていた僕らは、その「あせ」と「新青春」のスタジオ録音のため東京の某スタジオに。その時に香月さんをいきなり紹介され、さらにドラムを叩くことに。ディレクターの萩原さん、「曲は前もって聴いていますから、心配しなくても大丈夫ですよ」と。初めてちゃんとしたドラマ―とのセッションだったので緊張というよりは感動。なにせ僕と天野くんはそれまで中村くんのバケツの底を鳴らすようなうるさいドラマ―しか知らなかったもので(笑)「あせ」と「新青春」のレコーディングはあっという間に終了してしまいます。その時です。萩原さん「他に何か曲ありませんか?」と。 -続く-
そこで、天野くんが「作ったばかりの曲で『さようなら』と言う曲があるんですが…ただエンディングでエレキギターに持ち替えてソロを弾くんで…今日はエレキギターを持って来ていないので…」萩原さん「ちょっと持ち替えるところあたりまでやってもらえませんか?」ということになり、渋々「せ~の!」で一発録音されたデモテープがそのままデビューシングルとして世に出るわけです。今考えても、もの凄い分岐点だったと思います。「さようなら」は天野くんがそれほど熱を上げなかったレッドツェッぺリンの「天国の階段」から触発されたものです。「禁じられた遊び」以来でしょうか、ギターを憶えた少年が猫も杓子もこの「天国への階段」のイントロアルペジオに必死になったのは。天野くんもしかり、取りつかれたようにコピーしていましたが、彼の場合はそれだけではおさまりません。ひとつのオリジナル曲として形にしてしまいます。「さようなら」…イントロのアルペジオ、そしてそれに絡む裏メロが美しくて…ベースもここしかないでしょう!というぐらい入るタイミングとフレーズが自然に。そして3人でコーラスも考えながらアレンジして演奏していると、天野くん、おもむろにフォークギターからエレキギターに持ち替えて「天国への階段」のようなソロを弾き出すのでした(笑)アマチュア時代ですが、実際に初めてこの「さようなら」を初披露した時のお客さんの反応は「あせ」どころではありませんでした。 -続く-
なので、ある意味不本意な形の「さようなら」でデビューした天野くんはファーストライブアルバムの「さようなら」でも同じような目に遭います。あの時はエンディングでエレキギターに持ち替えてソロを弾いていたと記憶してるんですが…。月日は流れます。初めてベストアルバム『青春のかけら達』を出すことになった時のこと。開口一番「『さようなら』はちゃんと取り直したい」でした。ただ、その頃にはギターソロという発想は天野くんの中にはありません。まったく逆の発想でした。その頃の天野くんはキングクリムゾンでしたから。当時一緒にコンサートツアーにも同行してくれていた山田さんのフルートをフィーチャーします。アマチュア時代のようなアレンジでと期待した僕がバカでした(笑)「さようなら」は完成されているようで完成されないまま眠りについた…それが僕の正直な感想です。
ファンなら知っておきたいエピソード・・・ありがとうございます。
香月 様のご冥福をお祈りいたします。合掌
実は数年前の高専祭で《nsp喫茶》を企画したわけですが(*^^*)
その際、nspが5年生の時の貴重なライブ音源を流しました~(* ̄∇ ̄)ノ
で、
天野クンの〆のエレキにひっくり返りましたヘ(゜ο°;)ノ
天野クン、めちゃめちゃご満悦で弾いてたょね~~~(爆)
違和感アリアリなのに。。。
なになに…その音源…出所は何処だあ…誰だあ(笑)まあ、渋々赦すとして、実際に聴いてもらえるとよく分かると思うんですがね。違和感があるのは最初にデビューシングルの「さようなら」を聴いてしまっているから(笑)ライブはともかくレコーディングだったら多分、上手くいったことでしょう。でもそれだと7分はゆうに超えますからね、有り得ないですよね(笑)高専祭…懐かしいですねえ。先週末あたりは文化祭真っ盛りだったでしょうか。まあ、僕もこの高専祭のお陰で彼女が出来たわけですから、まんざら悪い行事ではありませんな!!(爆)
今でも第一体育館でのバンド演奏は活発ですが♪♪♪
それ以上になんせ一関高専を有名にしちゃったのは《ウォーターボーイズ》!
毎年ビニールハウス内のプールで開催されるソレは大人気!!(温水プールじゃ決して有りません。。)
老若男女大勢の観客が押し寄せる高専祭の目玉です。
それと、《おかまバー》も長い歴史が有ります(笑)
兎に角【ナンパ】がスゴい☆
女子高生が制服着て高専祭行くと・・ワラワラと男子学生が言い寄ってくるそぅ(大爆)
平賀クンもソノ手でガンバりましたか?(笑)
彼女がいないのに「います!」と言い張って(笑)野球、音楽以外の面倒臭い事には興味を示さないタイプでした。なので向こうから積極的に来られた時は戸惑いましたが、あまり悪い気はしませんでした。なに?未宙も言い寄られたのかな?天野君に似た高専生でも探してたのかな(笑)高専は5年制と中途半端だから違う学校の生徒にしなさいね。遠距離恋愛はやはり辛いよ(爆)