天野。
お前のこの文章には参ったよ。
「自分の顔というものは他人から見た場合、どんな風なものか、とても気になるものです。
できるなら一度、他人の目で僕自身をじっくり観察してみたい……。
自分の顔がしっかりと写ってしまう写真というもの、まったくやっかいな話で、
誰もが必ずといってよい程「自分は写真うつりが悪い!!」と思い込んでいるらしく、
僕たち三人もその例外にもれずに、まったくそのとおりなのです。
特に平賀君は、三人の中では一番、写真うつりが良いのに、
人に会うごとに「写真が悪い、実物がいい!!」と云っているので最近では変人あつかいになっています。
あれ程、写真うつりがいい人もいないのに……。
中村君も写される角度によって嫌いな顔があるらしく、
僕が見て良いと思う写真でも、断固として、「いやだ!!」とがんばるのです。
ほんとに中村君だって、写真うつりは悪くないのに……。
少なくとも三人の中で僕が一番うつりが悪く、写真だけでなく、テレビも実物のおよそ30%以下での顔なのです。
ほんとは、日本全国の人々に実際に会って僕の顔が、実はもっといいのだと証明したいのですが、
そうもいかないのでとても残念に思っています。
78年3月 NSPリーダー:天野 滋」
全然記憶にないんだけど…
天野にしては珍しく感情を露わにした文章だったので笑ってしまったよ。
余程、俺と中村の理不尽な不満に腹を据えかねていたようだね、ごめんね(笑)
でも、天野のこの文章のお陰で今回の高音質CD、HQCDのジャケットのアイデアが閃いたんだ!
“できるなら一度、他人の目で僕自身をじっくり観察してみたい……。”このくだりさ。
で、決定したジャケット案がこれ!
どう?NSPらしさと懐かしさと、妙にインパクトがあるでしょ!!
制作の柴ちゃんがこれを見て「ピンクフロイドの『対(TSUI)』みたいですね!」と、
嬉しいこと言ってくれてさ、思わずOKを出してしまったよ~天野~。
俺の中ではサングラス姿がジョン・レノンみたいでカッコイイなと思って選んだだけなんだが(笑)
もちろん市販商品なので、肌とか自然な感じで修正したからね!
それがこれだ!
どう?
他人の目で自分自身を見た感想は?
結構自分が一番だと思ってるでしょ!(爆)
お前のほとんどのファンが「天野くん、天野くん」って手で触ったり頬ずりまでならいいけど、
猫や犬みたいにぺロぺロするんじゃないの~?
「ベスタッチ(最高の感触)!BesTouch(最高の感触)!」言いながらさ(笑)
因みにこれが個人的には気に入っていたんだけどボツにしたジャケット案だ。
中にはさ…
「お休みの風景」じゃないけども、「NSPって6人だったんですか!?」って言いそうなファン、いるじゃん。
それでなくても今回は結婚や出産、子育て、仕事でNSPから遠ざかってしまった
45,500人の掘り起こしがメインなんでね…
断念したよ。
そうそう、選曲もそんな遠ざかっていたファンの人たちに合わせて耳馴染みのあるもの、
曲順も発売順にして青春時代を振り返りやすく聴きやすくしてあるよ。
曲のバージョンも「さようなら」含めお前のお気に入りのバージョンにしてあるから安心して。
それと…
結局は最後のテレビ出演になってしまった地上波の『僕らの音楽』、
フジテレビやきくち伸の力を最大級に借りてDVDにしたよ!
奇跡だよ、ホントに。
岩手日日や岩手日報にも掲載されたよ。
これは日報の記事だ。
取材してくれた阿部さん、読者に伝わる素晴らしい記事を書いてくれたよ。
そうそう最後に…
新曲「記念樹」完成したよ(笑)
曲?
俺が作ったよ。
それが一番自然だし誰も文句言えないでしょう…。
何かに似ていないか確認中だ(爆)
あんな裁判、もう懲り懲りだよな!(爆)
じゃあな、またな天野…。
NSPの平賀(時々ハンサム3号)
【当店限定予約特典】NSPポスターカレンダー【当店限定商品】NSP Meets 僕らの音楽 -収録ドキュメント 2004-2005 完全盤-[DVD]
この写真、とてもステキ!
鼻の形、唇の形、顎の線・・・
すべてパーフェクト。 横顔が綺麗な人が本当の美人だと聞いた事あります。
天野さん、平賀さんがいいジャケット作ってくれましたよ。
私もこのジャケットに頬すりすりして大事にしますね。
ペロペロはやめときます。
平賀さん、ちょっと、秋篠宮さまに似てる。^^
天野さんの声が聴こえてきたようで 涙ぐんでしまいました。
久しぶりに ベストセレクションの ble-spec cdを
聴いたんですが やっぱり高音質は いいですね~
ギターやベース音の伝わりかたが違いますね~♪
なんだか より 素晴らしい曲に聴こえてきます。
ますます 11月が楽しみになってきました。
記念樹 完成したんですか?(^^)
聴いてみたいです♪
平賀ご自慢の長~~~い睫毛がアピール出来て非常に良いと思います!(笑)
結構信じて貰えないんだよね、平賀クンの長~い睫毛(爆)
かなりインパクト御座るジャケットで。
45,500人のnspファンは一目見て目覚めるさ(○_○)
阿部さんの記事にゃ泣いた。。泣いた。。。(t^t)
増子さんといい、阿部さんといい、今回は本当に良い出逢いが有りましたょね~♪
感謝でいっぱいですm(。_。)m
さ、帰宅したらそのパンフ引っ張りだして天野クンさチュウしよ(*^3(*^o^*)
長~い何毛?●毛?
平賀さんの長~い●毛は、ダメでしょ(爆)
●=陰に似た漢字(笑)
このパンフはシングル「八十八夜」の発売に合わせて作って頂いたパンフで、三人の横顔に切り込みを入れて重ね合わせると三人が並んでいるように見えるというこの時代にしてはかなり凝った表紙だったと思います。ジャケットにする際は切り口が自然に見えるようにデザイナーさんにがんばってもらいました。特に僕と中村くんの髪の毛には苦労したと思いますよ(笑)天野くんの肌もかなり綺麗にしてもらいましたよ!天野熱愛変態エロファン=乱魔さんのために(爆)パンフは汚いから購入したジャケットにしなさいよ~(笑)ペロペロ用と試聴用の2枚、どうよ!(笑)としぴー。さん、期待に添えずすいませんでした。ホルスタインや空飛ぶ豚はまたの機会に。新聞の記事は岩手ならではの優しさに満ち溢れた愛情ある記事で感激しました。細部にわたってこのdvdの良さが伝わってきました。特に僕のお気に入りは岩手日報の「本件出身のスリ―ピースフォークバンドnsp…」思わずカッコイイ~!と(笑)スリーピースに反応してしまいました。いずれにしろ天野くんのいたnsp、そして天野 滋の存在とその凄さを再認識してもらえるようコツコツやるしかないのです、僕には。
ワダスもソコに大反応したわ。
過去の日報記事じゃ「3人組フォークグループ」が定番ですたかんね。「グループ」(^_^;)
長~~~~~い
「まつげ」ョ!「まつげ」!!
「まゆげ」でも「まぬけ」でもねえかんね。。(笑)
アハハ 難しい漢字だったので読めませんでした(笑)
何毛か悩んでしまいました(^_^;
てっきり、卑猥なものを想像してしまいました(笑)
くちびるの下の くぼみ から あごへのライン じっとみてしまった。セクシーだな~♪
中村さんは凹凸がないので金魚のようだ。
こんなだったんだ、知らなかった。 新たなる発見。
まん様のコメントおもしろい。
中村さんの顔、金魚ですか…
中村ファンに叱られそう。(゜o゜)
天野さんの顔、ホントセクスィー。
天野くん、素敵!可愛い?!なんて、
天野君に会いたくて、泣けてきます!
平賀君、いつもありがとう
相変わらず茶目っ気たっぷりの天野さんの文章には可笑しくて参りました。
「特に平賀君は、・・・」のくだりには電車の中にもかかわらず思わず吹き出してしまって…^o^
その結果出来たこのジャケット写真、実物に負けず劣らず素敵です!
つるんとしたお肌を早くなでなでしたいです(笑)
「記念樹」は天野さんの詩に平賀さんが曲をつけてくれたらいいのになぁ〜
と心秘かに願っていたので、正直びっくりしています。
どんな歌に生まれ変わったのでしょうか?
楽しみです(^o^)
下に↓スクロールして、4つの唇を見つめてしまいました(^o^)
天野さんから順に…唇が厚く、色は濃く…なっていますね(*^o^*)
一番上の お髭とお髭がぁ~…くっつきそう!
横顔って、いいなぁ~!
助手席に乗っているようで、妄想中です(笑)
平賀さん、先週の今日は
夢の島☆3連勝!おめでとうございます!
11面のベンチの前は、網編みでしたので
点数ボード側の芝生の所から
りく君達とご一緒に、平賀さんの投球の横顔を見つめていました。
4回まで、素晴らしいピッチングでしたょ~☆
お若いで~す(*'▽'*)
平賀さん、また一つ宝物をつくってくださっているんですね~♪
ありがとうございます!!
この写真、覚えています。
当時、サングラスをしている天野くんは、せっかくの素敵な目が見えなくなるので
外して~と心の中で叫んでいた私でしたが、この写真は、目元も含め、
素敵な横顔がばっちり見えるのでドキドキしてしまう1枚でした。(*^_^*)
復活後、おじさんになった顔(笑)も もちろん大好きでした。
永遠の存在になった今は 若いころも復活後もなく 全部がただ「天野くん」
たくさんの引き出しの中から 平賀さんが選んでくださった渾身の1枚…なんですね~。
新しい「記念樹」、ものすご~く楽しみです。
「祭ばやしが遠のくように」「八月の空へ翔べ」「碧き空は永遠に」「浮雲」
「色あせた風景の中で」「ぺんぺん草」などなど、挙げたらきりがないくらい
天野くん作詞・平賀さん作曲の作品は名曲ばかり、そして大好きな曲がいっぱいです。
天野さん、中村さん・・・と、平等に並んでいるように見えるのですけど、平賀さんが少し出ている・・・
良いバランスだと思います(^o^)
これは市販されるとのことなので、通販専門ではないのですね?(^o^)
僕のように
若い頃に聴いた事がある!!
懐かしいなァ!!
と、眠っていたnspファンの皆さんが目覚めるでしょう(^o^)
そして「記念樹」!!
天野さん作詞、平賀さん作曲!!
いつ、どのように発表して、発売されるのか・・・・楽しみです(^o^)
卒業式シーズンの定番となるといいですね~~(^o^)
楽しみですねぇ~♪じっくり聴いてみたいです。 そして記念樹! スリハンの新曲に???
《背に受けるそよ風と暖かい陽ざし》そんなイメージの平賀さんのメロディ それは(時間)
《青春の彩り》そんなイメージの天野さんの詩 それは(空間)
この空間と時間の融合で一曲の素敵なドラマが生まれる・・・
作曲平賀和人・作詞天野滋 二人の曲をイメージするとこんな感じかなぁ~と、勝手にcm風に…(笑)
この写真(顔の前、右手にnspのロゴがあるの)、前からお気に入りで、永らくケータイの待ち受けにしてました~♪
そして、ぱこっと開けて待ち受け画面を見るたびに、なぜか「ヨーコ・オノ」を思い出すのでした~ (平賀~さんはジョンを見るんや~)
あらためてよう見たら、スリーピースおんなじ距離で、遠近法になってへんのやなあ~
一番奥の平賀~さんのくちびる、超“ぽってり”や~ん(笑)
ジャケット写真...向かって左側は三人のほんまの右顔やけど、右側は、鏡映反転...鏡で見た顔になるし、当たり前やけど、左顔やないのやね~
nspファンの多くの女性が自分のメールアドレス内に【nsp】を匂わせる。
勿論ワダスもだ!(笑)
そして当然待受画面にもお気に入り【nsp】。
ワダスはお気に入り【天野クン】だ!(*≧∀≦*)
いつでも【nsp】聴けるようにしてる人も沢山いらっしゃるかな?
いい時代ダネ♪
いつでも【nsp】と一緒、だなんて。
乱魔さん^^スマホはええよ~^^ 昼休み 歩いてるとき お風呂 寝るとき
いつでもどこでもnsp♪ 全部のアルバム持ち歩いてるようなもん^^
大阪に居てもibcとか日本中のラジオ局聴けるし 本当に便利な世の中だ・・・
youtubeでnspの動画も見れるしね^^
乱魔さんに一票(^_^)
私も天野くん大好きです。中学生の頃は本気で天野くんと結婚したいと思ってました(笑)
天野くんが亡くなった日は、仕事中涙をこらえるのに必死で、帰宅してから涙が枯れるほど泣きました。
今はいつでも天野くんに会えるし、いつでも声が聴けますね。幸せです。
思わず、したくなりますね〜。
私も恥ずかしながら?、ガラケーもスマホもアドレスにnspが入っています。
記念樹? 記念樹? えっ?
平賀さんの作曲。。。ん? 本当のお話ですか?
本当なら、校歌以来の楽しみだ〜!
不本意な裁判結果であったのは平賀クンは当然としても、
我々ファンにとっても同じ気持ちでしょう。
しかしながら、
個人的には服部さんのアノ曲で、あの『記念樹』に、深い思い入れと沢山の思い出が有ります。
パクりだとは勿論思えないわけです、当時から今に至っても。
「ベスタッチ」に収録されるなら、
せめて『新・記念樹』とか~『new記念樹』とか~『おいろなおし・記念樹』とか~(笑)
何らかの線を引いて欲しいのが本音です!
メールアドレス内で【nsp】好きをアピールしたって全然恥ずかしくなんてないゾ~~~
(>ぽよちゃん♪)
hnに曲名名乗ってる方々だっていらっしゃるんだし~
(ワダスも過去にゃ「バブル」だったしねww)
愛車のナンバーや、キャッシュカード等暗証番号を【nsp】関連の数字にされてる方々だって大勢でしょ?(爆)
天野くんが自分自身そして僕と中村くんの不満を解決すべく取った方法がこの撮影でした。横顔を撮っていただき、本人の気に入った横顔を採用するというものでした(笑)最初からこのデザインあり気だったので、左側の横顔は…と思うでしょ?左側も撮った筈なんですが、デザインのイメージが擦り込まれていたというのも影響したのかな?結局、右側から見た横顔に。3人とも自分で選んだ写真なので文句のつけようがありませんでした(笑)中村くんの顎は…昔からなのでコメントしようがありませんが、金魚似コメントは初ですが…なるほど(笑)僕は野球をやっていたせいか体形が逆三角形だったのでジャイアント馬場、中村くんは顎がチャームポイントだったのでアントニオ猪木の真似をよく演っていましたね。肌は韓流系のようなサイボーグにならないようレタッチしていただきました。天野くん、いい感じでツルっツルですよね!レイバンのサングラスも時代を反映していて、楽しいですね。
「記念樹」…あの裁判以降ずっと気にはなっていたんですが、天野くんも僕も敢えて触らなかったのは、あの曲が一番だということ、書き換えたらその時点で本当の意味での負けを宣言するような気がしてお互いに話題にしなかったんだと思います。それでも僕はいつか天野くんが「俺が書こうか!」という言葉を待っていたように思います。いつかあの歌詞に曲をつけてやると思うようになったのは、彼が傍にいなくなってから。天野くんを思い出さなくてもいいようになったのはこの事件が大きかったのかも知れませんから感謝しないといけないですね(笑)十数年かかりましたが、今は呪縛から解放された気分です。やっと天野くんの歌詞に自分の納得のゆく曲が乗りました。オリジナルを超えよう、似ないようにと意識するあまり一向に前に進みませんでした。夢にも何度も…いろんなメロディが鳴っていました。別にcd化するわけじゃないんだから似ててもいいじゃん(爆)と開き直ってからでしょうか…拍子も変えて挑んだら、あら不思議!!あっという間の出来事でした。もちろんこれは、今となっては僕だけの問題なのかもしれないので、納得のゆくデモテープを作って自分で楽しむというのが基本です(爆)もういろんな人を巻き込んだり巻き込まれるのは御免です(笑)人の前で披露することは「湯口中学校の歌‐絆‐」同様ないと思いますが、将来、どこかの幼稚園か小学校で歌ってもらえたら嬉しいので、そういう運動を難しいとは思いますが、コツコツやっていこうかなと。まあ、皆さんにはいつになるかは分からないけどもクイズの景品で届くことになるのかな?(爆)
クイズの景品にしては、とても貴重な品物になりますね。
50,000人のn.s.pファンが、こぞってクイズに挑戦しますよ!
皆さんの中で今も順調に育んでいると察します。かく言う僕自身も本当はそうなんですが、あの悔しさは僕にしか分からないのと、あの歌詞を埋もれさせるのは…ちょっと許されないなあ(笑)紛らわしくないように、こちらは「記念樹2015」とします(爆)
プレ創刊される「大人のmusic walker」というサイトにnspの記事を掲載したいとプロデューサーさんから協力願いをされたんですが、思い出して欲しいライブを指定されて…11月4日近辺で中野サンプラザで2daysやったんだそうです、僕ら。当時のフォークグループとしては(いつだったかも思い出せない自分)凄いことだったらしいんです。中野サンプラザでは何度もやっているのですが…2days…やっぱりここは玲夢さんかな?(笑)確かに違うメニューでチャレンジしたような…駄目だ、思い出せないや。誰か思い出すきっかけをくださいな!(笑)曲、衣装、mc何でもいいです!
取り急ぎ。。手元のパンフ見てみると。
1977年11月24日・26日
1979年12月にも2daysやってんね~
11月4日なのね?
11月24日の間違いじゃないのね?
乱魔ちゃんの言うとおり、1977年11月24日26日です
1979年12月22日、23日 2day中野サンプラザもコンサートありましたよ
私もパンフレットで
コンサートの日程を確認しました。
乱魔ちゃんや玲夢ちゃんが書いてくれてるように
2daysは2回ありました。スゴいですね~
観に行かれた方がうらやましいです。
他のパンフレットを見ていたら
6年目の終わり~7年目に向けての思いを語る平賀さんを見つけました。
「ルールも友達も約束も捨てて、我道を貫いた江川、巨人入りおめでとう。
あとは実力で勝負、勝負!」
って感じではじまっていました(笑)
保育園の卒園式にでも唄われたら、すてきですね~♪
なあんと!仙台出身の我が園長先生は、天野くん大好き!
だったのですょ~(*^o^*)
これはなんとしても、来年仙台スリハンへ
連れて行かなければ…\(^o^)/
今年も去年も卒園式で唄ったのは
ビリーブです♪
2daysが凄い、フォークでは珍しい、なら・・・
この昭和52年11月24日と26日が怪しいンだがな~
「全国縦断リサイタル」と銘打たれたコンサート♪
2daysの狭間、25日には『黄昏に背を向けて』が発売されていま。
やっぱ違いますかねぇ?
皆さん、御協力感謝します。今…その「大人のmusic walker」のプロデューサーさんにどっちなのか確認していただいています。11月4日からすると1977年のほうだと推測されますが…この方の記憶も定かでないようで…だってnspで一番好きな曲が「待ってもこない」(爆)多分「待っても待っても」だと推測されますが…。中野サンプラザで2回も2daysで…当時というか70年代はまだ武道館でコンサートを開くことがビックアーティストの仲間入り、最終目標みたいな風潮があってね、そのためには渋谷公会堂や新宿厚生年金会館、そしてこの中野サンプラザで最低でも2日間コンサートを満員で出来れば武道館は近いぞ!みたな公式があってね。でも以前にも記したように天野くんが全く大きなホールに興味がなくてね(笑)天野曰く「ボクの声じゃ武道館は後ろの席まで届かないから…」マイクという拡声器が発達していた時代にね(爆)でも、その天野くんが田園コロシアムでの野外イベントに挑戦…ああ!思い出した!それを発表したのが1979年12月22日、23日の中野サンプラザじゃなかったかな?確か…楽屋で天野から「来年は田コロでやるからって聞かされて驚いた記憶が。この2daysはコンサートツアー『街から町へ』の一環で、その集大成として、みんな田コロに集合しよう!だったのかな?何故、天野くんが田コロをヤル気になったのか知ってるよね?1979年12月、オフコースが「さよなら」で大ブレイクしたんだよね。この年の8月だったと思うけど田コロでのコンサートの成功が、この「さよなら」のヒットに繋がったと天野くんは分析したんだと思います。外れてはいなかったと思いますが、誰にでも当てはまる事ではないということをnspがその後、証明する訳です(笑)懐かし楽し恥ずかしい~♪
こすもすさん!こすもすさん!!もすもす!!そういう幼稚園の園長先生や小学校の校長先生あるいは音楽の先生にアプローチ出来る方々、ドラステのような御協力を仰ぐことになると思いますので、よろしくお願いします。卒園式、卒業式、謝恩会などのイベントに間に合うように年内にはそれなりのデモテープを作成致します。聴いて頂いて判断するのはもちろん先方ですが(爆)皆さんの中で大きく育っている記念樹の隣に2本目を植樹して欲しいです(笑)
もしも1977年の2daysであれば・・・
ワダスは12歳。
会場内客層はほぼ高校生以上でしょうから、現在53歳以上の乙女&青年達(笑)が大勢いらっしゃったと思われます。
記憶を手繰り寄せて。。。
是非!平ブロ★デビューして頂きたいと思いますm(._.)m
中野サンプラザだなんて、夢のまた夢だったわな。。。
ド田舎の中坊にゃf(^_^;)
乱魔さま
1977年11月24日 26日 中野サンプラザ
nspリサイタルツアー ’77 tokyo でしょう。たぶん。
埋もれていた化石…のippoです(笑)
1977年が濃厚な中、全然参考にならないかも……な1979年の情報ですが。。。
1977年、1979年、私両方とも行っています。 (短大1年生とol1年生でした)
ただ、2日連続でコンサートに行った記憶はないので、それぞれ1回ずつ観ていると思います。
残念ながら、細かい記憶はありませんが、79年のツアーパンフの中に貴重なリーフレットが挟まっていました。
12月22日、23日のコンサートは、nspの75年から続いた「街から町へ」のラストを飾る2日間であるとともに、「クリスマスビッグフェスティバル’79」「for the ’80s」のサブタイトルがついたコンサートだったようです。(このリ-フレット、写メ数枚を店長のアドレスにお送りしました)
リーフレットの裏面には、当日のバックの方々のお名前も載っています。
バイオリン8名、ビオラ2名、チェロ2名とストリングスがすごく充実しています♪
そのほかフルートも4人。それとドラム、eギター、パーカッション、キーボードです。
非常に豪華ですね~♪ (*^_^*)
サンプラザといえば、1975年発売のライブ盤「僕らはごきげん」の収録ホールでもありますね。
これも高校生のときですが、観ています。九段会館と同じ年なので、きっと玲夢さんも行ってますよね♪
東京だと、コンサートに行っても不良ではありませんでしたよ~(笑)
バックのメンバー
フルートは2名(復活翌年の渋公に出てくださった山田さんがそのお一人♪)でした。
そしてトロンボーンが1名です。
コンサートの「出待ち」というのを、後にも先にも一度だけしたことがあります。
それが中野サンプラザの駐車場でした。
当時、nspのお三方が相次いで車の免許を取って、それぞれの愛車でホール入りしていたということで
天野くんの愛車フェアレディ―z(と天野くん♪)を一目見たくて、コンサート終了後、この日は兄と行っていたこともあり、ちょっと居残りしてみたんだと思います。
待つこと少し。。。出てきました!
もちろん私以外にもファンはいっぱいでした。
疲れているのか、照れ屋なのか、天野くんは黄色い声には応えず。
天野くんが愛車のドアに手をかけた瞬間、
「事故起こすなよ~」と野太い声が聞こえました。何と私の兄でした(笑)
お、お兄ちゃんたら。。。と一瞬固まった私。
でも、その声に、天野くんが、振り返ってニヤッと笑ってくれたんです。(*^_^*)
うれし恥ずかし我がサンプラザの思い出。 これは ♪僕が忘れた~車のキーを~
「あなたこっちを振り向いて」が発売された1977年のサンプラザだったと思うのですが。。。
1977年11月25日はアルバム『黄昏に背を向けて』の発売日。9月に発売されたシングル「北北東の風」を含むアルバムでしたが、この『黄昏に背を向けて』でアルバムセールスが200万枚を突破!その御褒美として12月に初のヨーロッパ旅行に出かけたのでした!珍道中でした。その旅行の写真が掲載されたパンフの表紙が今回のuhqcdのジャケットなる訳です…繋がっているなあ~。それよりも一体どっちの中野サンプラザなんだろか?11月4日じゃないとダメな企画なんでしょうかね?(笑)まあでも、これだけ化石ファンをざわつかせたプロデューサーの方に感謝しなきゃいけないのかな?(笑)リサイタルだったということは…着替えて1部2部形式だったのかな…どうも全体像が見えないなあ…79年のほうは思い出したんですが。余程ヤル気がなかったんだろうなあ、自分(爆)まだ歌に興味のない頃…(笑)77年だと歌ってもせいぜい「おもいで」「そこは故郷」「朝」あたりかな?サポートメンバーは察しがつくんですが、どういう編成だったのかも…むむむむ(汗)ippoさんも大変な思いをされたんですね!(笑)77年はシングル曲以外はアルバム『シャツのほころび涙のかけら』『明日によせて』『黄昏に背をむけて』あたりから選曲されていたと思います。もちろん「あなこち」もやっていますね!なんたってフェアレディzでしたから、天野くん。
「五万のファンもippoから」だ!!(笑)
叩きゃなんぼでも埃出てきそ♪ippoちゃん(爆)
もうね、4daysだと思って書きゃいいじゃん。
あとはプロデューサーさんが「そうそう!これこれ!」言うとこ繋げりゃね~(←コレをいい加減と呼ぶwww)
頑張れ、平賀和人(*`д´)ノ!!!
ippoさん、凄い情報ですね
コンサートの内容って、全然覚えてないです(>_<)
1975年の中野サンプラザ、行ってますよ
この時のチケットは、しおりとして使えるようになっていましたね(o^^o)
乱魔ちゃんと玲夢さんに褒めてもらえるとは……光栄の至りです♪
でもね、1982年のコンサート(渋公だったような記憶)に一緒に行った
とある男の一言で、あんなに大好きだったnsp(天野くん)から遠ざかってしまった。。。
浅はかで冷たい女なんですよ、私。。。
その男とは、その翌年結婚した現在の夫です(笑)
一言とは、「nsp、方向性が違ってきちゃったね」(みたいな)。
(彼は初期のnspナンバーで友達とギターの練習をしていたんです。後に持ち物の中から、必死にギターをかき鳴らして「がんばれやせがえる」を歌っているカセットテープが出てきました)
持っていたアルバムもシングル盤もコンサートパンフも「みのむし」も全部実家に置いて結婚し、
実家の物置に入れられたそれらは、台風にさらされて水をかぶって台無しになりました(泣)
それで今手元にある復活前のお宝はその一部だけなんです。
だから、乱魔ちゃんのようにブランクなく応援し続けてきた人がとってもまぶしい!!
玲夢さん、しおりになるチケットの記憶こそ、素晴らしい!! 私覚えてないです~(笑)
平賀さん♪平賀さん♪平賀さん♪
おはようございます(*'▽'*)
今日は、夢のかたち描いた 曇り空です。
校庭
夕暮れの校舎
保育園や、幼稚園では、園庭。園舍。
といいますので、学校の歌ですね♪
もうすぐ、中学校を卒業する吹奏楽部の次女にも、聴かせますね!
音楽の先生に、ぜひ伝えてね~と♪
合唱曲様の伴奏の楽譜もあるといいですね!
妹尾さんに、書いていただくとか…
土曜日、~misto serenata~ 聴きに行ってきました♪
ippoさん、記憶に残ってないですよ〜
チケットが残っているので…σ(^_^;)
11月24日、26日の2daysだそうです。皆さん、特に往年のファンの皆さま(爆)御協力ありがとうございました!2000字らしいのでippoさんの個人的なコメントなど織り交ぜながら(笑)、このスレに自分が記したような思い出を中心に書き上げようと思います。プレ創刊「大人のmusic walker」サイトに掲載されるのが11月中旬以降らしいので、ちょうどnspの高音質uhqcd『nsp bestouch』も11月18日に発売されるし、ギブ&テイクで(爆)頑張ってみます。ippoさんには店長を通して1979年12月22日、23日のほうの情報画像も頂きました。タイトルが「x'mas big festival '79」だったんですね。確かにタイトルに相応しく大がかりな編成で臨んでいました。因みに1977年11月24日、26日は…
■n.s.p recital tour '77 tokyo
《第1部》
白い椅子の陰/ゆうやけ/おもいで/昨日からの逃げ道/秋日/お茶の一服/砂浜/赤い糸の伝説
《第2部》
星も見えない/弥生つめたい風/五月雨/あなたこっちを振り向いて/みつからないように/朝/夕暮れ時はさびしそう/やさしい町/あの夜と同じように/北北東の風 ~アンコール~ あせ/さようなら
だったようですよ。「みつからないように」が難しかったんだ…この曲、聴くと演奏するでは全然違うんです(汗)。だからライブではあんまり披露しなかったと記憶しています。しかし立ち会った皆さんも意外と…曲とかmcとか1部2部形式だったとか、僕らの服装とか憶えていないんですね(笑)天野くんの顔ばっかり見てたから?それともライブなのに目を閉じてじぃっと聴いてた?(爆)まあ、他人のことは僕も言えませんが。
そうそう!
ステージから遠かろうが近かろうが天野クンの顔一所懸命見つめてましたね~(キャン♪)
ステージのバックに関して。
nspでもスリハンでも、どういう風にデザインが決まってくの?
メンバー間で話し合いがツアー毎にちゃんと持たれていたの?
ツアーコンセプトからスタッフさん方(舞台美術係)で練られるのかしらん?
思い出深いセットってあるのん?
予算のこともあるので(笑)僕らメンバーが決めた選曲やツアータイトルから舞台監督はじめスタッフがアイデアを持ち寄ってイメージしたものを予算に合わせて具現化していたと思います。僕らからこんな感じで、というようなことはなかったように記憶しています。舞台セットよりも照明さんの腕のほうが気になりましたよ。曲を把握しているしていないでは全然違いましたから。それは観ている皆さんにも感じられたことだと思います。いつだったか…ステージが前足下がりで落ち着かなくてね(笑)案の定、安定しないコンサートを繰り広げました(爆)確か銀座の会館だったように記憶しています。あんなやりにくいライブは最初で最後でしたが…。確かこの時の2daysだったような…。2日目は平らにしてもらった記憶があります。舞台監督はブツブツ言っていましたが(笑)
勇んで送った割には、何の参考にもならなかった情報と場外乱闘の思い出(笑)
それでも貴重な原稿のどこかに使ってくださるんですか?(使えるところあるかなぁ 笑)
平賀さん、ありがとうございます(^o^)♪ 2000字って大変ですよね?
玲夢さん、あはは… そうでしたかぁ。
コンサートチケットも 大切にしていたのに ごっそりなくした私です。
行ったぞ、観たぞ、聴いたぞ、その事実は本物なので、大切にしたいですね(笑)
何度もしつこくてすみません(^_^;)
「みつからないように」は my favorite songです。
アルバムの中で「シャツのほころび涙のかけら」が一番好きなのも
1曲目に「みつからないように」が入っているから。
演奏難しいんですね。。。ご苦労おかけしました(笑)
新譜が出ると、いつも正座でヘッドフォン、身じろぎもせずに聴きました。
動かないnspに動かないファン(笑)
復活後にできた友人に話したら うんうん、そうそう、おんなじ~って言ってました(^o^)
1977年11月24日、26日の中野サンプラザリサイタルにまつわること、何でもいいので思い出したらメールしてください。この両日のチケット…日付もコンサート会場名も入っていないなんて(爆)70年代の良い意味での「適当な美学」を反映した一例ですね。
もう20年以上前の事です。テレ東の歌番組で
オフコースの「さよなら」が流れたあとに、
「僕達もさようならという歌を唄ってました、という電話かファックス(このへんは記憶がない)をいただきました」と司会者(確か井上順さん)が言ってました。ビデオに録画しておいて、何回か見た記憶があります。ビデオを見つけているのですが、
たくさんあるので、今でも残っているかどうか…
この電話の主はもしかしたら平賀さんだったのでしょうか?話がそれてすみません。