「1986年の新生NSP」
CONCERT TOUR 1985「FLY TO THE MOON」で
サポートメンバーだった澤近泰輔、深浦昭彦を
正式メンバーに迎えて再スタートした新生NSP。
キャニオンレコード全面的サポートのもと、
記念すべき最初のシングルは
「シェイキンLADY」(1986年7月21日)。
打ち込み機材もバージョンアップしたせいか、
コンピューターなのに生っぽいリズム感と音色に
進歩の跡が見られます。
新たに加わった深浦くんの存在が大きく影響しています。
そして同日にリリースされたアルバム『APOCALYPSE』。
ジャケットがまた粋ですね(^^♪
デザイナー西本さんが僕らのアルバムコンセプトを基に
あるイラストレーターにお願いしたものなんですが、
何処にお住いの方だった?【Q-1】
天野くんは新生NSPをきっかけに
「滋」を捨て「音彦」に改名します。
「え“~!?なんで!?」
と理由を訊きましたが、
これといった納得できる答えは返ってきませんでした。
生まれ変わりたかったのかもしれませんね。
あるいはもう一人の自分をプロデュースする覚悟だったのかも…。
僕はさらに進化した打ち込みドラムとの闘いに悩んでいました(笑)
…究極、生ベースは要らないのでは?
というぐらいのレベルでした(^^;
アルバム『FLY TO THE MOON』で
確かな存在感を示した近ちゃんこと澤近くん。
「バブル Jに捧ぐ」以来の作曲と
今回はボーカルを「永遠」で初披露しています。
この曲、ロッキーのテーマではありませんが、
新生NSPのテーマソングにピッタリだなと
思ったぐらいインストパートは感動的で、
さらにスイートボイスにも危機感を感じました(笑)
今作でもManipulatorとして大活躍の深浦くん。
いきなりメインボーカルもとっています。
その曲とは?【Q-2】
聴けば納得のボーカル力。
彼はもともと某グループのメンバーとして
デビューした経験がありました。
それは何というグループだった?【Q-3】
シングル&アルバムを引っ提げて
全国ライブツアーを敢行。
これは都内でのワンシーン!
ライブ会場と歌っている曲名を当ててください!
【早押しクイズ!!】
景品は…
NSP(New Sadistic Pet)のハナヲTシャツ。
こんな格好じゃ着れニャイし、持ってけ!(爆)
皆さんも、向こう見ずな挑戦はお控えくださいね(^^♪
一関高専に入学して出会った3人。
この頃から音楽性の違いがあって(笑)
僕と天野くんは市内の社会人バンドの一員として参加、
そこで揉まれに揉まれます(爆)
このバンド名は?【Q-4】
高専に入学したばかりのヒヨッコが…
その18年後には…
結構カッコいいけどね(^^♪
ファンがそういうNSPを受け入れてくれなかった?(爆)
まあ、そういうことなんだと思いますが、
天野くんのやりたかったことが凄く理解出来て…
でも残念ながら相反して
そこに付いていけない自分がいて…
その上での脱退となるわけです。
新生NSPによる作品は結局このシングル&アルバムのみ。
「天野、あとは任せた!!」なので結果的には…
「解散もなければ復活もないグループ」
として後世に語り継がれる幻のグループ…………
のはずでした(笑)
自然消滅して10年以上経ったある夜、
僕らは一夜限りの再結成ライブをやる羽目に(^^♪
それは何処で何のために(^^♪【Q-5】
ということで、
どこまで続くのか?と思われていた一連の
「NSP珍クイズ」も最終回を迎えました。
第3のメンバーを通して知られざる?知らなくてもいい(笑)
NSPの一面をこのクイズを通して皆さんが喜んでくれて、
さらに偉そうな態度で自慢げに
後世に伝えていただければ最高です(^^♪
【Q-1】~【Q-5】の正解数の多かった上位2名様には
遡ってアルバム『NSPファーストライブ』か『NSP II』
を進呈いたします。
まあ、皆さんが望むのであれば…
緊急事態宣言も延長のようですので…
特別編というのも考えないといけないですかね(爆)(^^♪
NSPの平賀(時々ハンサム3号)
1985年のNSP
前作『冬の時代』で手応えを掴んだ天野くん。
さらにNSPサウンドを追求します。
手を加えたのはドラム。
天野くん曰く
「絶対に間違わないしリズムも狂わない。
なにしろ自分の好きなようにプログラミング出来て、
言うことを聞かない人間よりやりやすいし楽だよ」
…確かに(^^;
さっそくNSPの3人と
澤近(Programming & Keyboards)で取り組んだのが
シングル「FLY TO THE MOON」(1985年4月5日)。
渋谷エピキュラス第2スタジオで
試行錯誤しながらもドラム以外は上出来(爆)
アルバム『水と太陽』(1985年4月21日)も
併せてのレコーディング中に、思わぬ珍客が!
差し入れも持たず訪れた客とは一体誰?【早押しクイズ】
景品はシングル「愛のロジック」。
NSPと澤近の4人で完成させたアルバム『水と太陽』。
時代を先取りしたコンピューターと
生楽器との融合サウンド!のつもり(^^♪
ドラムマシン、正確過ぎて最初は戸惑いましたが、
敢えてNSPでは控えていたスラップ奏法(旧チョッパー奏法)から
ピック弾き、指弾き、フレットレスベースとなんでもござれ!の、
どこに出しても恥ずかしくないぐらいの
ベーシストに成長していました(爆)
そんなフレディもどきの僕から問題です(笑)
このアルバムに収録されている「少年たちの海」。
この歌詞のモチーフ(きっかけ)となった洋楽曲は何だった?【Q-1】
レコーディング中、
ずっと悩んでいた中村くんが
ソロ活動することを決心します。
NSPと並行しながら
ソロ活動で披露していた曲から
数曲収録されています。
例えば「SUMMER TIME ‘85」、
ソロの時は何というタイトルだった?【Q-2】
このシングル&アルバムをリリースし、
僕らは約40か所の全国ツアーに出掛けます。
天野くんの説得も及ばず、
中村くんにとっては最後のツアーになりました。
マニピュレーター&キーボードとして
深浦くんが参加します(^^♪
このコンサートツアーで
天野くんがトライしたことは?【早押しクイズ】
ツアー中によくある記念撮影風景…。
天野くんの隣にいる美人さん(?)、
中村くんの隣にいる有閑マダムさんは誰?【Q-3】
このコンサートでは中村くんが意欲的に動き回ります。
特にある曲のイントロではステージを降りてファンに大サービス!
今まで応援してくれたお礼と感謝だったか?
その曲とはナニ?【Q-4】
ヒット曲に恵まれない中、行われたこの
「FLY TO THE MOON CONCERT TOUR 1985」は
いろんな意味で、この時点での最高で
理想的な姿形だったと思えるものでした。
このツアー後、中村くんはソロとして、
残りの4人はそれまでお世話になった事務所を後にして
新会社(株)NSPオフィスを設立、
世間の荒波で揉まれに揉まれることに(笑)
今回の景品は…だいぶ減りましたね~(笑)
【Q-1】~【Q-4】までの正解数の多かった上位2名様に
アルバム『冬の時代』あるいは『瞬(まばたき)』
を進呈いたします。
今回は超~簡単にしました(^^♪
NSPの平賀(時々ハンサム3号)
1984年のNSP
昨年の今頃は…?
新元号「令和」に変わる瞬間に立ち会える
喜びに胸を弾ませていた気がします。
確かなものは何もなかったけど、
見えない希望に期待する自分がいた気がします。
その一年後…
見えない敵と闘うことになるなんて…。
NSPの1984年も見えない何かと、
さらに己との戦いが待っていました。
シングル「愛のロジック-論理-」(1984年2月5日)
の歌詞は衝撃でした。
天野くんがここまでネガティヴな表現を
したことがあったかなあ~と???(笑)
ジャケットのグループ名も
「NSP」というよりは何となく
「PSN…プスン。」(^^♪
事務所から
今年は3人それぞれの将来を見据えた活動も視野に入れていこうね、
という不気味な進言をされたのもこの頃でした…。
天野くんのソロコンサート成功で刺激を受けた中村くんも
ソロコンサートを積極的に行うようになります。
僕もその余波を受けることに。
それでもこのシングルを収録したアルバム『冬の時代』は
ソフィスティケイトされたジャケット含め
僕らNSP&サポートメンバーによる
あらゆるアイデアと熱い思いが込められた
最高傑作 と思えるような
作品に仕上がったと思います(^^♪
今でも大好きな一枚です。
アルバムタイトルも
真っ暗闇の先に必ず有ると信じて
一筋の明かりを探し求めて
歩みを決して止めないNSP…。
ある意味NSPサウンドの確立と
その先にあるべきNSPの方向性が集約された
1曲目の「未来」、
そしてアルバムタイトル曲「冬の時代」。
この頃天野くんが傾倒していた
テクノポップスのエッセンスが
随所に散りばめられた、
これ以上ないというぐらい、
とにかくレコーディングが楽しくて、楽しくて、
追及して追求して、追い詰めて
満足いくアルバムに至った…
そんな感じでした。
特に「未来」のベースのフレーズを
そのままなぞったシンセベースを重ねたり(^^♪
キーボードの澤近くん(現ASKAのバンマス)の
曲に対する理解度、貢献度もかなり深く
天野くんにとっては大きな存在だったと思いますよ。
1曲目の「未来」はうちの長女の未来(みく)が
「自分の歌だよね!」と思い込んで本当に喜んでいて…
父親としてはとても違うとは言えませんでした(^^♪
この男が悪いんだよ(笑)
ごめんよ、未来ちゃん…。
このアルバムには何故か
「木枯がやさしい夜」が収録されています。
シングル「めぐり逢いはすべてを越えて」の
カップリング曲でしたが個人的に大好きな曲でした。
収録するならばアルバム『めぐり逢いはすべてを越えて』
あるいはベストアルバム『10TH ANNIVERSARY』でも
不思議ではないのに…
このアルバムに敢えて収録する気になった理由はナニ?
【Q-1】
何だったっけ?ひらがあ~。お前、憶えてるの?
おれは、よ~く憶えているよ(^^♪
この年、ソロ活動の一環として
声優TARAKOちゃんのシングルと
アルバムをプロデュースすることに。
同じレコード会社繋がりだったからかな?
あまり憶えていません。
このオファーにはびっくりしましたが、
実は僕… 原盤ディレクター萩原さんや
日朝さんの仕事ぶりを見ていて漠然とですが
「ディレクターも面白そうな仕事だなあ…」
という気持ちが芽生えていました。
ということで
事務所を通して個人的にある方に編曲など
個人レッスンを月一でお願いしていました。
そのレッスンしてくれたお方、それは誰?
【Q-2】
TARAKOちゃんのシングル「誘惑ゲーム」
(作詞:TARAKO 作曲・編曲:平賀和人)
期待に応えないと、と頑張りましたよ、本当に(^^♪
レコーディングメンバーも最高でした。
Key:澤近、Drs. :山田、E.B:藤岡…
そしてエレキギターは特に最高でした。
快諾してくれたこの人物は一体誰だった??
【Q-3】
アルバム『笑わない恋人』も同時にリリース。
あらかじめARAKOちゃんに、
大好きなアーティスト、
影響を受けたアーティストを尋ねると、
えっ?!そうなの!
ちょっと意外でした。
そのアーティストとは?
【Q-4】
アルバムの中で一曲デュエットしています。その曲名は何だ?【Q-5】
TARAKOさんとは結局二度のジョイントコンサートを。
労音会館だったかな?
1回目の評判が予想以上に良かったみたいで…。
二度目のコンサートは
お客さんを裏切るような
二部構成にと二人で画策(^^♪
TARAKOちゃんのアイデアでいくことに。
そのお客さんも目が点だった一部とは
一体どんなものだった???
【Q-6】
この一連の仕事で
制作ディレクター&プロデューサー
というものに益々興味を持ちましたが、
ソロコンサートに関しては一回で懲り懲り。
早くNSPに戻りたい気持ちでいっぱいでした(爆)
中村くんは真逆だったみたいです(^^♪
それはやはりグループの中での
ポジションの違いも大きかったと思います。
今だから言えることですが…。
今日もまた天野くんの大好きな時間帯が訪れました(^^♪
夕陽、夕暮れ、夕焼け、黄昏…
一番落ち着くらしいです。
毛並みの良い猫が君に語りかける…
景品はもちろん正解数の多かった方、
あるいは個性的な答えで僕の腰を抜かせた方の2名様に
アルバム『黄昏に背を向けて』か『冬の時代』
を進呈いたします(^^♪
屋根より高い鯉のぼり。
その鯉のぼりより貴いNSPのアルバム(^^♪
恥ずかしがらず奮って応募をお待ちしています。
NSPの平賀(時々ハンサム3号)
1983年のNSP
さて今日も新たなクイズの準備に取り掛かりますか…(^^♪
いつでもはじまりは朝(笑)。
10年という節目のNSPも
シングル「はじまりは朝」(1983年3月21日)で始まります。
グループ表記も「N.S.P.」と「P」の後にピリオド(Period)。
終わりを感じさせるような表記にファンからも解散説が…(笑)
この「はじまりは朝」のC/W「名前のない猫」。
この「名前のない猫」のタイトルの由来は?【Q-1】
お前は平賀英雄(ヒラガハナヲ)だから大丈夫だよ!(^^♪
どうした天野?!仮装大会か!?
ソロアルバムでも!!??
どうした、二人も! 化粧もヤバいが…
目、目、目、目がもっとヤバい!(爆)
5月21日発売アルバム『瞬(まばたき)』の撮影。
…目が点…まさに瞬き。
トキ?ツル?鳥獣?一体ここは?どこで撮影された?【Q-2】
裏ジャッケットの3人にファンは
「NSPは変わった!終わった!」(笑)
天野くんはじめ僕らはもちろん遊び、
洒落のつもりでしたがファンには通じません。
それでも、
この洒落を決断した理由は一体なんだった?【Q-3】
グループの呼び方も「NON STOP PROGRESSION」に。
そしてここでは表記が「NSP」とピリオドがなくなります。
この呼び方「歩みを止めない」NSPを
提案した人物とは一体誰だった?【Q-4】
ジャケットやグループ名の呼び方などとは裏腹に、
このアルバム『瞬(まばたき)』はセルフプロデュース。
レコーディングもほぼツアーメンバーで行いました。
1曲目の「マダ愛シテイル」から悲しさ満載です(笑)。
天野くん自身、
失恋状態で失意のどん底にあった時期だっただけに
歌詞も含め、天野くんのソロアルバムの
レコ―ディングを手伝っている気分でした(爆)
でもアルバム自体は全体的に
アコースティックでゆったりしていて、
天野くんのソロコンサートで
披露された数曲も収録されていて、
ある意味NSPらしさを取り戻したような
作品に仕上がっています(^^♪
この時期僕はローラースケートにハマっていてね。
全国ツアーでも持参して
時間があれば会場の駐車場やその街の名所、
例えばお城巡りもやっていましたよ。
さて問題です。
ある日、ライブ会場近くのお城へ(^^♪
しかし、その途中
道路で偶然パトカーに出会い
注意され、追いかけられます(爆)
その街とは?(笑)【Q-5】
1983年、発売されたレコードはこの2枚。
しかし天野くんは
堀ちえみに「夕暮れ気分」を提供し大ヒットしたり
横山みゆきのアルバムをプロデュースしたりと
仕事面では充実していたと思います。
1984年は僕や中村くんも
ソロ活動を強要されることになります。
僕は中村くんのソロを作曲・アレンジ面で手伝いながら
TARAKOという声優さんとお仕事をすることになります。
おっと、景品を忘れるところでした(^^;
もちろん正解数の多かった上位2名様に
アルバム『瞬(まばたき)』か
『冬の時代』を進呈いたします。
STAY HOME で頑張ってみましょう!!
NSPの平賀(時々ハンサム3号)
1982年(10TH ANNIVERSARY)のNSP
グループ結成丸10年(’72)、
デビュー10年目(’73)を迎えたNSPのシングルは
僕と中村くんも虚を突かれたような
「星も月も草も街も」(1982年2月21日)。
どちらかと言うと天野くんと
担当ディレクター日朝さんとの間で生まれた作品。
髪型ひとつとっても分かるように… 変化、進化を求めて
試行錯誤を繰り返していた時期ならではのシングルだったかな?
天野くん…
「ちょっと考えすぎたかな?力んだかなあ~」
天野くん…そこ何処?【Q-1】
このシングルをプロモーション中に
東北新幹線イメージソングの話が舞い込みます。
完成した「めぐり逢いはすべてを越えて」(1982年5月21日)は
NSPには珍しくメジャーな曲調でした。
溢れんばかりの笑顔の三人!(笑)
大ヒットを確信したか?!
甘い!世の中しょっぱい!!(爆)
天野くん「話が来たときは嬉しかった。
お陰で夜のヒットスタジオにも出演できたし…緊張したけど」
天野くん、生放送をいいことに
パフォーマンス中に滅多にやらないことをやっちゃいました。
それはナニ?【Q-2】
中村くん「お~い!!」
平賀くん「おい、おい、おい、おい!」(爆)
6月25日でデビュー10年目を迎えたNSP。
「10th YEAR DASH」なるコンサートツアーを行いながら
6月21日にはシングルと同タイトルのアルバム
『めぐり逢いはすべてを越えて』(1982年6月21日)を
満を持してリリースします。
僕もこのアルバムでは
作曲にボーカルにベースに頑張りましたね(^^♪
特に「碧き空は永遠に」は危なくシングルになりそうに(笑)
ところでその赤い車は…どこの何という車??【Q-3】
この年の9月には
天野くん初のソロコンサートを草月会館で、
それも2DAYS!!(^^♪
よく泣いていましたね~(爆)
新曲だらけの短めのコンサートでしたが、
印象的な曲がたくさんありました。
NSPのその後のアルバムにも収録されていますね…
それはナニ?【Q-4】
この年はデビュー10年目ということもあってか
立て続けにタイアップの話が…
今度は映画『遠野物語』の主題歌。
たまたま曲作りで休養期間だったNSPでしたが
映画の主題歌とあって天野くんは映画監督や
関係者も納得の作品を頑張って仕上げ、
ベーシックなレコーディングも行い、
前から予定していたサイパン旅行に出掛けます。
中村くんも東京を抜け出し気分転換で旅行中。
僕は自宅で子育てに奮闘中(爆)
そんな折、日朝ディレクターから
「平賀~悪いんだけど遠野物語の仮歌を歌ってほしいんだけども」
…が、結局そのままレコードに(^^;(1982年11月21日)
天野くんも「これでいいんじゃない!」
え″ーーーっ!!うっそぉおおおおおお~。
僕は心配します…大ヒットしたらどうしよう…
これまでの天野くんの立場が…(笑)
…とても馬鹿げた心配でした(爆)
この年の暮れに改めて10周年を記念した
3枚組ベストアルバム『10TH ANNIVERSARY』
(1982年12月5日)をリリース。
天野くん監修・選曲による、
とてもバランスの取れたアルバムだと思うし
音楽評論家、こすぎじゅんいちさんが書いてくれたライナーは
とても微笑ましいエピソードとともに感動的で印象的な内容でした。
その、とても微笑ましいエピソードとは?【Q-5】
難しいかな?みんなには?平賀どう思う?
大丈夫だあ~!(笑)
ひとつの節目でもある10年はあくまでも通過点と、
天野くんはさらに新しい何かと変化を求めて猫の目のように…
…ハナヲのこと呼んだ?
360度アンテナを張り巡らせながら
NSPのために試行錯誤します。
ハナヲはご主人様と背中合わせで
クイズの答えを考えようっと(^^♪
このクイズの景品はアルバム『めぐり逢いはすべてを越えて』を
正解数の多かった上位2名様に進呈いたします。
脳の退化の改新目指してGO!GO!!(^^♪
NSPの平賀(時々ハンサム3号)
1981年のNSP
♪愛の心 硝子の心 壊れやすい心♪
春のコンサートツアーに合わせて
リリースされたシングル「Rain」(1981年4月5日)。
当初タイトルは「ガラスの心」でしたが、
僕の強引な押し相撲で寄り切り!(^^♪
ただ…
どちらが勝ちでどちらが敗けかは
今でも誰にもわかりません。
中村くんは間に挟まって
本当に大変だったと思います(^^;
髪型では完全に負けていますが(笑)
昔はもっと違和感がありましたが、
いま改めてよ~く見ると全然違和感ないですね♪
このシングルのカップリング曲
「チケット握り締めて」もすごく出来が良くてね!
アレンジャー、梅垣達志さんが冴えに冴えていて
A面と甲乙つけがたい仕上がりとなりました。
そんな中、天野くんが「Rain」の
ちょっと大袈裟過ぎるアレンジにブツブツ…(笑)
コンサートでは、イントロからアコースティックで
こじんまりしたアレンジで臨むことに。
NSPでは“小物”と言えば中村くん!
ですが、「17歳の詩」のハーモニカ以来、
僕がフルートを吹くことになります。
ただ、この曲のために吹くずっと以前から、
ある洋楽アーティストのコンサートを
天野くんと観て刺激と影響受け、
個人的にフルートのレッスンを始めていた
ということもあっての起用となりました。
さて、ここで問題です。
その刺激と影響を与えた洋楽アーティストとは?【Q-1】
後に発売することとなるNSPライブ・ボックス
『ライブはごきげん!!』(7枚組)の中の
「全国縦断架空ライブ 1980~1984」(2枚組)でも
「Rain」を聴くことが出来ますが…
天野くんが「Rain」を歌い終わった後に
「平賀くんの■▼◆●▲のようなフルートが、
とても美しかったんですが…。」
とコメントします。
それはどのような?フルート??【Q-2】
製造しているかどうかわかりませんが、
このボックスは本当にご機嫌ですよ。
皆さんから送っていただいた写真集も、
なかなかの企画でした、すげえ~大変でしたが(笑)
「雪のララバイ」、「Rain」とごたごたが続いたNSP。
過渡期だったんでしょうね…。
方向性の違いなどから原盤ディレクターは
長きにわたってお世話になった萩原さんから
バンドサウンド志向のNSPに理解を示す日朝さんに替わります。
ウエストコースト風なバンドサウンドを!
天野くんのイメージを具現化しようと、
再度瀬尾一三氏をアレンジャーとして迎え
今までにはないA.O.Rな作品
『潮騒のホテル』(1981年9月21日)で、
新たなNSPの一歩を踏み出します。
そしてその流れを踏襲したアルバム
『The WIND’S SONG』を11月21日にリリース。
英語タイトルにファンも
僕らの意気込みと力みを感じ取ったと思います(爆)
が、クールでポップ色の強いサウンドに
ファンも戸惑いを隠せなかったようです。
それもそのはず、歌&コーラス以外は
日本の一流スタジオミュージシャンの集合体、
PARACHUTEが担当、
アレンジは瀬尾さんという超豪華陣形!!
なのでNSPらしくないと言えば、らしくない(笑)
アルバムだったかも知れませんね。
このアルバムを境に天野くんは
封印していたエレキギターを持ち出し練習に励みます。
どちらかというと遅まきながら
イーグルスを意識したようなバンド構成で
コンサートツアーを行うことになりますが、
さてこの時期のサポートメンバーを当ててください!
3名(E.G , Dr , Key)です。
名字だけでもいいですよ、あてずっぽうに!【Q-3】
音楽に明け暮れる中、
同事務所(YAMAHA)に草野球部が発足します。
ジャイアンツファンとタイガースファンの多いことから
チーム名は「Gigers(ジャイガース)」(爆)
阪神ファンはスペル的に大勝利したと大喜び(笑)
どうですか!この天野くんのユニフォーム姿。
カーリーに変身する直前の直毛最後のユニフォーム姿!(^^♪
お待たせしました、ここで問題です!!
ジャイガースでの天野くんの背番号は一体何番だった?!【Q-4】
そして、天野くんの隣にいるUCLA帽子のナイスガイは一体誰??【Q-5】
最後に難問です!天野くんの前にいる背番号10番は一体誰??!!【Q-6】
1981年発売の配布できるサンプル盤が一枚も見当たりません(笑)
それでも数多く当てた方あるいは想像力に長けた方には…え~と…
『シャツのほころび涙のかけら』か
『八月の空へ翔べ』か
『風の旋律』のどれかを
景品として進呈いたします。
ソーシャル・ディスタンスに気をつけながら
頑張ってみてくださいね(^^♪
NSPの平賀(時々ハンサム3号)
1980年のNSP
打倒!コロナ!!回避!コロナ鬱!!
ボーっと生きてんじゃねーよ!!(^^♪
泳げない、走れない。
こんな日は…漕ぐしかない!
フリーランサーは自転車操業者さ(爆)
アベノマスクは有難いけど、
日本を鼓舞するなら国民の大ヒーロー、
タイガーマスクが良かったなあ~(^^♪
スリハンファンの皆さん!こんにちわんたんめん!!
ちゃんと食べてますか?!!!
そして少しでも体を動かしましょうね!(^^♪
6/20スリハン大阪、
7/12スリハン東京(EXシアター六本木)…
全然諦めていませんよ!
逆にそこに向けて出来ることを準備中です(^^♪
ハナヲも不要不急で外出自粛中です(笑)
1979年12月23日。
この年最後のコンサート(中野サンプラザホール)後に
発表された1980年8月2日の田園コロシアム野外コンサート。
あんなに野外を毛嫌いしていた天野くんに…一体何が?
1980年1月にアルバム『彩雲』(1980年1月21日)をリリース。
ジャケットは天野くん意中の人、
イラストレイター矢吹申彦さん。
「如月の詩」
「いつでも黄昏」
「浮雲」
はじめこのアルバム収録曲を
一枚の絵で見事に表現しています。
イラストに感動しながら思わず平賀くん
「この男性…俺だよね!」(爆)
瀬尾さんをアレンジャー&共同プロデューサーとして
迎え制作された『彩雲』。
オリコンチャートも初登場9位と上々のスタートでした(^^♪
さて、ここで軽い準備運動的クイズです。
このアルバムの最後に収録された「海辺に語りて」。
渋谷エピキュラスの第一スタジオ。
僕と中村くんでは到底無理な
高音域のパートで煮詰まっているところに
第2スタジオでレコーディングしていた
某アーティストが偶然、挨拶に訪れます。
天野くん「ねえ○○○○くん、ちょっとここのハイパート、歌ってみてくれない?」(笑)
断れなかったその超~アンラッキーだった
アーティストとは一体誰??【Q-1】
4月21日。
8月の田園コロシアム野外ライブを睨んで
天野くんにしては珍しくスケールの大きな
シングル「見上げれば雲か」をリリースします。
併せて同題の天野 滋エッセイ集
「見上げれば雲か」が八曜社から出版されます。
おっ!?
アルバムジャケットと若干…
僕が振り向いていますね(笑)
さてここで問題です。
このエッセイの中に登場する
稲田君と言う人物、一体誰??【Q-2】
コンサートツアー「街から町へ」の
集大成ともいえる田園コロシアム野外コンサート。
前日のリハーサルは穏やかでさわやかな天気だったのに
コンサート当日の天気は雨予想。
本番リハーサルから降り出した雨はさらに激しさを増し、
本番はさらに容赦なし!
夕暮れ時に合わせて用意していたバラードたちも
オーケストラの方々のNGで曲変更を余儀なくされます。
後日、ライブアルバム用にと収録した音源を確認しますが
激しい雨音がノイズと化していました。
ここで問題です!
本来ならステージ上に総勢何名のはずだった??【Q-3】
その模様は是非!このライブCD
『NSP 雨の田園コロシアム・ライブ 19800802』で!!
平賀渾身の根性編集にて当日の臨場感溢れるライブを
味わうことのできる唯一無二の逸品に仕上げました、
泣きながら…天野くんの許しを請いながら(^^♪
色んなアクシデントに遭遇しながらも最後までやり切ったNSP。
何となくですがそのサポートメンバーと
次のアルバムを一緒に制作したくなります。
合宿レコーディングを計画します。
場所は箱根ロックウェルスタジオ。
11月21日にリリースされたアルバム『天中平-夕陽を浴びて-』。
ジャケットはもちろん前作に引き続き矢吹申彦さんですが、
僕らの迷いがそのままイラストに反映されたようにも感じます…。
このアルバムの先行シングルは「夕陽を浴びて」のつもりでしたが、
ディレクターの萩原さんからお馴染みのNGが出ます(笑)。
揉めに揉めて折れた天野くんが自らを押し殺して書き上げた
女性目線の「雪のララバイ」(1980年11月5日)。
突如カーリーヘアで登場した中村くんに不機嫌な天野くん(^^♪
その理由は?【Q-4】
そして、
このジャケットの撮影場所は都内のどこ?【Q-5】
NSPの良さとは?…叫ばれた原点回帰。
僕らNSPは戻ってはいけない場所に戻されそうな気がしました。
理由は分かりませんが、
「雪のララバイ」はアルバムに収録されませんでした。
アルバムタイトルも最後の最後までなかなか決まらず、
結局は3人の名字の頭文字を取って『天中平』(てんちゅうへい)。
丁度この年、「天中殺」という不気味な言葉も世間を賑わせていて…
とても迷惑しましたが、自分たちの身に降りかかってきたような…
自分たちを再度見つめ直す時期が訪れたような。
そんな気分でした。
天野くんにもショックな出来事が起こりました…
それはナニ?【Q-6】
それでも天野くん、
個人としてはクリスタルキングに
「蜃気楼」
「処女航海」
の作詞提供で大ヒット!
作家として活躍の場を広げていきます(^^♪
さあ、今日もコロナ日和(笑)
それでは皆さん
【Q-1】から【Q-6】まで答えていただきます。
正解数(正解内容含む)の多かった2名様に
アルバム『彩雲』か『天中平-夕陽を浴びて-』、
いずれかを差し上げます。
慌てず騒がず投稿してくださいね。
幸運を祈っています(^^♪
NSPの平賀(時々ハンサム3号)
70年代最後、1979年のNSP
♪ルールも 友だちも 約束もみんな棄てて
君を ああこのまま 抱いていたい 面影橋で♪
…過激!な歌詞にハナヲテレル…マッカ。
70年代を締め括る1979年の幕開けは
一石を投じるようなシングル
「面影橋」(3月21日)でスタート。
「赤い糸の伝説」
「八十八夜」
を凌ぐ話題作となりました(^^♪
どこか歌謡曲っぽいんですが、天野くんが歌うと
あまりそう感じられないから不思議(笑)
それでも心のどこかで囁きます
「野口五郎が歌ったら大ヒットするだろうなあ…」って(爆)
この話題のシングルを収録したアルバム『風の旋律』を
5月21日に発売することになりましたがメンバーは大反対。
ベストアルバムからたったの半年。
最低でも一年間は出さないつもりでいたし、
その間にじっくりと曲作りをと考えていましたが
キャニオンレコードが許してくれません(笑)
ご主人様もいろいろあったんだニャ~。
好セールスを記録したベストアルバムの
プレッシャーを感じながら完成した
アルバム『風の旋律』。
1曲1曲の完成度はそれなりなんですが、
若干風呂敷を広げすぎたかなあ~と。
ただ個人的にはアルバムタイトル含め
ブリティッシュな雰囲気の漂う作品が多くて
好きなアルバムです。
だからか~3人ともいい顔してますもん(^^♪
ご主人様毛ボーボー。まさかヘルメット??
このアルバムのタイトルにもなっている「風の旋律」。
エンディングでは天野くんのあてずっぽうなスキャットで
終わる予定でしたが、なかなか上手くいきません。
そこで、シンセサイザー・ソロにしようということになりました。
さて、問題1です!
そのソロを弾きに来た人は一体誰だった?
簡単なので景品はシングル「面影橋」で(^^♪
その一ヶ月後の6月21日には
シングル「青い涙の味がする」
をリリースしますが、
まるでアイドル並みのローテーションでしたね。
上京してからの2年間とは違う意味で疲弊していました。
ふ~ん…
でも3人とも自然で余裕すら感じますが…
ご主人様、毛フサフサ。
実はこの曲、当初は
某アレンジャーさんの下でレコーディングしたんです。
自宅まで押しかけて綿密に打ち合わせもして…
僕と中村くんは郷愁溢れるイントロに感動しますが、
天野くん、最後まで首を縦に振りませんでした。
楽器含めあまりにも自分の描いていたイメージと
違ったんだと思いますが、本当にすいませんでした!!
結局自分たちでレコーディングし直します。
ここでも天野くん「あ~スッキリした!」。
さて蒸し返し問題2です!!
そのアレンジャーとイントロの楽器を当ててください。
景品はアルバム『風の旋律』です。
皆さんの健闘を祈る!!
天野くん、その罰が当たったか
夏に風邪をこじらせ肺炎で入院します。
罰と言うよりは少し休んでという
神様の思し召しだったのでは?
この年はデビュー丸6年。
7年目に突入ということでこれを祝して
目黒・雅叙園で「NSPと7回乾杯する会」が
多数のマスコミ関係者を招いて開催されたり、
ラジオ「COKY POP」でのリクエスト
6年間連続1位を達成したりと
決して悪い一年ではなかったんですよ。
個人的にも「青い涙の味がする」の発売日に
長男の剛くんが誕生したりと(笑)
9月発売予定だったシングル、
天野くん休養十分で復帰後、
大の仲良しだった元ふきのとうの細坪くんの
ソロアルバム用に提供した「愛のナイフ」を
NSPでカバーしたいということで、
NSP用に歌詞を加筆したり
テンポを大幅に変えてレコーディングします。
コーラス参加でスタジオに来た細坪くんに
そのバージョンを聴かせると「ナニ?コレ?」(笑)
屁~初めてメンバー以外の曲が
NSPのシングルになったんだ…。
70年代最後のシングル
「愛のナイフ」(1979年12月5日)
さてここで問題3です、難問です。
この年発売した3枚のシングル
「面影橋」
「青い涙の味がする」
「愛のナイフ」
でエレキギターを弾いてくれたミュージシャン
曲ごとに当ててください!
景品は当てたあなたが希望するレコードを…のつもりです。
アレかアレでもOKです(^^♪
それでは皆さん、
打倒コロナ!
回避コロナ離婚!
コロナDV!
コロナ鬱~!!(爆)
NSPの平賀(時々ハンサム3号)
1978年のNSP
1977年2月のシングル「弥生つめたい風」
以来ヒットに恵まれないNSP。
アルバム売上100万枚突破も
井上陽水さんに比べれば…
どこかでそんな気持ちが3人の中にあり、
あまり喜べませんでした。
どちらかというと不安な気持ちで1978年を迎えます。
そんな中、生まれたのが「八十八夜」(1978年3月25日)。
女性目線での歌詞は確かに斬新にして新鮮でしたが、
ベーシスト的には
「天野…またスリーコード?」(笑)
それでも多くのカップルや結婚前提の男女に
インパクトを与えた作品となり
天野くん自身も
「たかが1曲、でもその重みや責任を感じた」
と述べています。
これがスマッシュヒットに繋がった要因でもあったのでしょう。
このシングルを収録したアルバム
『八月の空へ翔べ』(1978年5月25日)は
前作『黄昏に背を向けて』を「静のNSP」とすれば、
かなり明るくてポップな「動のNSP」仕上がりになっています。
イラストは
「夕暮れ時はさびしそう」
『ひとやすみ』
でお世話になった横井精二郎さん。
少年の心と田舎臭さを残しながらも(笑)
どこかディスニー映画のように夢に溢れていて
一目で気に入りました。
3人の表情にも自然と笑みが…(^^♪
さて問題です(^^♪
このアルバムから初めて起用したベースの後藤次利さん。
ではこのアルバムの中で
NSPが初めて使った楽器はなんだった?
ベストアルバムの話が持ち上がります。
まだたったの5年なのに?
メンバーはベストには大反対でした。
なんだか売れていないからここら辺でベストでも
というニュアンスとこれで終わりのような気がしたからです。
ただスタッフの
“アルバムも10枚になるので一度まとめておきませんか?”
と上手に説得され(爆)
1978年11月21日にベストアルバム
『青春のかけら達』をリリースします。
この「冬の花火はおもいで花火」(1978年10月21日)は
その先行シングルとなります。
このシングルに行き着くまでにかなり揉めました…。
当初3人の中では「漁り火」か
天野くんと中村くん合作の「男と女の余白」で決まり!
と思っていたんですが
原盤ディレクターの萩原さんからいずれもNGが。
でもそのお陰でその数日後に
「冬の花火はおもいで花火」
という新曲が生まれたわけですから。
凄い才能です!!
当時のディスコブームをちょっと意識したサウンドに…
歌詞はまたも女性目線。
柳の下に二匹目のどじょうは…
いませんでした(爆)
それでもベストアルバム『青春のかけら達』には
シングル「冬の花火はおもいで花火」はもちろんのこと
未発表曲の「漁り火」やこれまでの曲を新たに
録り直したバージョンで何曲か収録されていて
天野くんもかなり納得のアルバムとなりました。
さて、ここで問題です。
その録り直した曲とはナニ?
中には歌だけ録り直したバージョンも含まれます。
景品はもちろん
ベストアルバム『青春のかけら達』(2枚組)です。
答えは一人一回のみにしましょうね(^^♪
でないと不公平感満載となりますから。
分かったかな?ねこさん、ippoさん。
よろしくね!(^^♪
「慎重にね。一度答えたらあとは
指をくわえて見てるだけ~ですからね。」
と、天野くんも…
生まれ変わりのハナヲも寝言で言ってます(笑)
このベストアルバムはセールス的にも大成功でした。
これが後に天野くんや僕らNSPのプレッシャーとなることなど
この時は知る由もありません。
しかし、この尻尾…
完全に天野ヘアだよなあ…
肉球はテディベアだが…(^^♪
NSPの平賀(時々ハンサム3号)
NSPの1977年 其2
まずはクイズの正解を…。
足りないシングル盤は「Rain」。
NSPの正式なシングル盤ではないものが3枚。
天野 滋のソロシングル「VISTOR」、
そして幻のシングル盤「八月の空へ翔べ」。
さらに一番手前の「冬の花火とおもいで花火」と「さようなら」の
カップリングに“おや?”と思われた方も。
これはのちに発売されることになる初のベストアルバム
『青春のかけら達』のプロモーション用シングル(^^♪
「さようなら」はもちろんリアレンジで収録。
ということで、タレチョルさん、タッチョルタッチョル(爆)
アルバム『明日によせて』を進呈いたします!
おめでとうございます!! チカ店長まで連絡を。
がめ乙さんはじめ惜しかった方々…平賀の馬鹿!(^^♪
1977年後半は9月25日に12枚目のシングル
「北北東の風」をリリースします。
天野くんにしては珍しく昨日とか明日じゃなく
「今この瞬間を大切にしようよ」
という強いメッセージが込められた作品ですが、
幼少時代、神社で賽銭泥棒をしてました、と言う
衝撃的な告白も含まれた歌詞に僕と中村くんは
泥棒の助太刀?
何とも複雑な心境となった作品でもありました(爆)
そんな大胆なメッセージの込められたシングル含む
9枚目のアルバム『黄昏に背を向けて』が
11月25日にリリースされます。
冬に向けてアコースティックで優しさに満ち溢れた
NSPらしいアルバムです。
このアルバムで、これまでのトータルセールスが
100万枚を突破するということで、初回50000万枚は
ゴールドっぽいカラーレコードに(帯参照・笑)
さらに事務所&レコード会社よりご褒美として
ヨーロッパ旅行へ行かせていただきました(^^♪
さて、ここで問題です!
日本を飛び立つ瞬間、
「ひらがあ~早く日本に帰りたい…」(笑)
なんて言っていた天野くんが某国で腕時計を購入しました。
そのメーカーを当ててください!
…景品はもちろん『黄昏に背を向けて』の通常盤(^^♪
はあ…チカ店長の頑張りでやっとこさ1977年か(^^;
ちょっとペン休め…ハナヲはテーブルで寝てるし。
お腹が空いたなあ~鰻が食べたいなあ…。
テレポーテーション(瞬間移動)で、ホイ!!
うわっ!来たー!!
暇つぶしにひつまぶし~。
なんだか本当に食べてる気分に(笑)
せっかくだから皆さんの健康も願って…
どっかパワースポットにテレポーテーション!!
ホイっと!ここどこ??!!
箱根?の神社??
天野くんみたいにお賽銭は・・・やめとこ、やめとこ。
九頭龍神社!超パワースポット!
ものすごく行った気分に(爆)
テレポーテーションする前に
天野くんの飼っていた鯉に挨拶を(笑)
……白い鯉の横に龍神様が見えませんか…
2020年後半に何かいいことがありますように!
と願いながらパソコンに向かうのでした(^^♪
NSPの平賀(時々ハンサム3号)