1974年7月10日に寄せて

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 学生時代に3枚のシングルと2枚のアルバムをリリース。覚悟を決めて1974年春に上京した僕らの初めてのシングル(4枚目のシングル)「夕暮れ時はさびしそう」はNSPの命運がかかったシングルとなりました。上京して間もないのに、この曲が売れなかったら田舎に帰ろうと本気で考えていました…それぐらいプロの世界は予想以上に厳しいものでした。
 実はこの曲、学生時代にはすでに出来上がっていましたが僕と中村くんの強い拒絶反応、とりわけ僕の猛反対に遭い、さすがの天野くんも一度引っ込めます。結果論ですが、そのお陰で、いや僕のお陰で(笑)2枚目のアルバム『NSP II』(1974年3月25日発売)に収録することもなく卒業&上京、天野くんは「隠し玉」的に温存し「その時」を待っていたわけです。

 1973年秋。僕と中村くんの下宿先、高梨食堂の2階。チャリンコにギター一本担いで出来たてホヤホヤの「夕暮れ時はさびしそう」の弾き語りに全く反応しない二人に天野くん「なっ!?いいだろ?この曲!!」。期待に反し、お経みたいなAメロは僕には4畳半フォークを連想させ、時代を後戻りしたような感覚に陥ったし、いきなりサビで「こんな河原の夕暮れ時に呼びだしたりしてごめんごめん」には、当時天野くんが付き合っていたガールフレンドの顔が浮かび、思わず笑ってしまう始末。天野くんは曲をバカにされたと勘違いし益々熱く熱く歌い、そして説得は熱を帯びていくのでした。そんなことお構いなしに、僕はといえば一体どんなベースを弾いたらいいんだよ!?と途方に暮れるばかりだったし、もめ事の大嫌いな中村くんでさえ最後まで首を縦に振ることはありませんでした。まさかこの曲のヒントがピンクフロイドの「Julia Dream」(邦題 夢に消えるジュリア)だったとは…。
遡ること1971年、天野くんの自宅で初めて「Julia Dream」を聴かされました。ピンクフロイド来日記念盤に収録されたこの曲は確かに初期のピンクフロイドの中では群を抜いて日本人好みの美しい旋律が印象的な作品で僕も思わず感動してしまいした。「なっ!いいだろ?この曲!!」と何度か聴かされたこの曲がまさか…「夕暮れ時はさびしそう」に繋がっていただなんて夢にも思いませんでした(笑)

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「夕暮れ時はさびしそう」は何故売れたのか、正直今でも僕には分かりません。
この作品だけにフォーカスするとイントロのオカリナ、その音色とフレーズが曲調に合っていたこと。季節の中ではち切れそうな若い男女の心模様を斬新な言葉で表現した歌詞。絶妙なストリングスアレンジ。週刊新潮の表紙のような素朴でノスタルジックなイラストジャケット…等など諸説はいろいろありますが、初めて皆様に爆弾宣言です(爆)
強いて言うなら…イントロのド頭一拍目!ピックで弾いた気合一発のベース、B音ではないでしょうか。「Julia Dream」におけるロジャー・ウォーターのピック弾き音質を真似てみました(笑)僕はまだこの時点ではYAMAHAの特注ベースだったけど、この強さとこの音質でなければ売れなかったと勝手に自負しています(笑)

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ピンクフロイドのような誰かの笑う声がする……(笑)
                                          
1973年秋、井上陽水「心もよう」、南こうせつとかぐや姫「神田川」の爆発的ヒットは叙情派フォーク系アーティストの大きな味方となり、確実に全国の若者の心に浸透し鷲掴みにしていきました(もちろん同じYAMAHAでポプコン出身、小坂明子の「あなた」の大ヒットも大きな要因のひとつに挙げられると思います)。
1974年、夏。そんな時代背景の中、グレープ「精霊流し」、山本コータローとウィークエンド「岬めぐり」に引っ張られるように「夕暮れ時はさびしそう」は大ヒット。全国コンサートツアーの真っ最中だった僕らは観客動員数や、それまであまり聞けなかったアイドルに向けるような黄色い声援に何となくだけども今までとは違う手応えを感じたのでした。
 この「夕暮れ時はさびしそう」のお陰で僕らNSPは86年に一度は自然消滅するも16年という長い年月を経て2002年、オリジナルメンバーで復活!!元少年少女のファンの皆さんと楽しい時間を共有することになりましたが、それは3年という期限付きの神様からのプレゼントでした。

 
 あ…因みにこの「夕暮れ時はさびしそう」のB面「コンクリートの壁にはさまれて」は御存知ユーライヤヒープの影響も大ですが、ベーシックはやはりピンクフロイドの「吹けよ風、呼べよ嵐」だったということも添えておきます。
                            
                            NSPの平賀(時々ハンサム3号)

1974年7月10日に寄せて」への20件のフィードバック

  1. 過去の物語さん

    夕暮れ時はさびしそうを聞いてレコード店で曲名nsp分からなかったから、歌って買いました。
    夕暮れには、救われました。もう、生きていくことに、疲れていました。
    当時は14才でした。今も夕暮れは元気のもとです。有難うございます。

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  2. ねこさん

     1974年、私も14歳でした。
    でもまだn.s.pには出会っておりません。
    「赤い糸の伝説」が私のn.s.pデビューです。
    それから、ドップリn.s.pに、はまります。

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  3. NSPの平賀(ハンサム3号)さん

    今年も『大人のmusic walker』さんからオファーが来るんじゃたないかと思って用意していた原稿なんです。残念ながら2年連続で声はかかりませんでした(笑)ここ何年か、僕や僕らnspがデビュー前、デビュー後にお世話になった関係者がこの世から旅立っています。縦・横の時間軸など記憶があいまいになる前に、歪曲して語るようになる前に事実をどこかに記しておきたい、そんな思いで温めていた文章です。ファンの皆さんならいろんな場面場面で聞いた話ばかりですが、この頃の僕らを知らない人には参考になると思いますので、是非どこかで「夕暮れ時はね~」と語り部よろしく拡散してください。因みに7月10日は「納豆の日」でもあるとか…なるほど納得です…天野くんの粘り勝ちだったんですね!やっとヒットした要因が分かった気がします(爆)

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  4. スーこと 面影橋さん

    平賀さん、貴重なお話をありがとうございます。ド頭の一拍目に注目して 聴かせていただきます。
    高校生の頃から バンド活動している うちの息子 大学あたりで ギターから ベースに転向して ピックで弾いていました。
    nspはデビュー当時から好きでしたが 私も赤い糸の伝説で nspが私の中で特別な存在になりました。

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  5. ippoさん

    過去の物語さんと同じく 私も「夕暮れ時はさびしそう」で nspに出逢いました。
    一発ko 天野くんの隠し玉にまんまとだまされたんです(笑)

    純粋に 私の待っていた世界でした。何この曲~♪ どんな人が歌ってるの? 作ったのは誰?
    15歳の私の衝撃は今も忘れないし 4倍近い年齢になった今(笑)でも気持ちは変わらないです。
    19歳の夏に ひとり一関のまちを訪れ 岩井川の堤防から土手におり立ったときの
    あの歌の舞台に来たんだ!という感動は 私の人生の中で たぶん10本の指に入る出来事です。

    平賀さん、ぜひ語ってください。何でも聞かせてください。形に残してください。
    お宝は 音源や映像や写真だけでなく 平賀さんの記憶の中にこそ あるんですね~(*^^*)

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  6. としぴー。さん

    言われてみれば、ジュリア・ドリームに ユーライア・ヒープですね~。

    当時東北ローカルのnhk-fmでよくnspが流れたので、nspも聞いていましたが、
    洋楽ロックが好きな中学生でした。(中学生ですよ、平賀さん!)

    私は前から「nspはフォークというよりロックなのよ」と主張していましたが、
    またさらに裏付けがとれました。・・・もちろん全ての曲がそうではないにしても。
    これからコンクリートのど頭のベース、聞いてみます。♪ヽ(*´∀`)ノ

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  7. ippoさん

    岩井川ではありませんね。 磐井川です♪ 
    文字校正にウルサイ私としたことが~~(汗)(笑) 

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  8. NSPの平賀(ハンサム3号)さん

    「コンクリートの壁にはさまれて」はセカンドアルバム用にレコーディングした曲です。この時のベースはファーストアルバム同様、右用ギブソンeb-0でした。音は…甘いんだけどもぼやけない、としぴー。さんぽい感じでしょうか(爆)そんな優れモンでした。イントロのフレーズはもちろんcharの考えたフレーズです。僕はもちろんピック弾きです。こっちも気合一発のイントロでした。

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  9. 昨日からの逃げ道さん

    7月10日、納豆の日発売。
    たまたま、納豆の日だったんですか?

    「納豆・そら豆・ピーナッツ」だから「納豆の日発売」が良かった。
    そしてヒットした。
    狙ってなかったんですか?

    nspは「納豆」に縁がある!
    そんな風に思ってしまいました。

    「納豆・そら豆・ピーナッツ」の命名は天野さんだったんですか?

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  10. スーこと 面影橋さん

    今年も10月8日に京都円山音楽堂で『フォークコンサート』『京の旅人again』が開催されます。
    出演者 杉田二郎、ばんばひろふみ、あのねのね、南佳孝、太田裕美、
    高木麻早、中川五郎、北村謙 敬称略

    一昨年はスリハンが出演されてたので 今年は~と期待していましたが 残念です。
    去年は 渡辺真知子さん 岸田敏志さん ビリーバンバンのおふたり もちろん 杉田二郎さんや ばんばひろふみさんも出演されてて 盛り上がりましたよ~\(^o^)/
    来年こそは スリハンに出て欲しいな~
    一昨年 夕暮れ時はさびしそうが 流れた時の歓声が大きくて嬉しかったです(^o^)夕暮れ時に風に吹かれながら聴いた夕暮れ時はさびしそうは、感動的でした。

    今年も チケット取れたから 行ってきます(^^)/\(^^)

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  11. NSPの平賀(ハンサム3号)さん

    皆さんもいろんな我儘なお願いをするんでしょうか?(笑)僕もお願いするんですが僕のはこの場には相応しくないので(爆)…教えません。「夕暮れ時はさびしそう」の頃のキャニオンレコードは発売日が25日か翌月10日の二つしかなかったと思います。スタッフの反対を押し切るのに若干時間がかかったんだと思います(笑)レコーディングはユニークでしたよ。nspはドラムレスだし、当時クリックというかドンカマのない時代でしたからリズムテンポの目安はこの曲のストリングスアレンジを手掛けた福井崚の指揮。編成はアコギのスリ―フィンガー、ベースそして6(ファーストバイオリン)・4(ビオラ)・2(チェロ)・1(コントラバス)。まあ…コンダクターに合わせて演奏することに不慣れな僕は死にそうでしたね。それでも1発目の音と最後の怒涛のサビに入る前のフレーズには命をかけました(笑)懐かしいです…。その後のダビングでオカリナを耳にした時は、お~!いい曲になったかも、だったでしょうか(笑)まあ、天野くんは売れると思って温存していたわけですから絶対にヒットすると確信していたと思います。この間、坪にも「あの曲はさあ~平賀~、ファン目線で書いているところが凄くねえ~。普通は若干でも上から目線で書くじゃん。」…なるへそ。確かに歌詞にしないような普通の言葉で溢れていますもんね。磐井川ならぬ今日の天の川は…夕暮れ時は…夜は…どんな気持ちにさせてくれるんでしょうかね。

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  12. ippoさん

    ♪そうか 君は笑うのが下手になっちゃったんだね~
     あんまり僕を困らせないで そろそろ笑ってくれよ~♪
    心をわしづかみにされたのはこのフレーズでした。
    もっともこの頃の私には そんなふくれっ面をさせてくれる彼氏もまだいませんでしたが(笑)

    その後、この歌詞の女の子の思いを実感したとき ますます大好きな曲になりました。
    日が沈んでくるとやってくるサヨナラの時間が切なくなって
    (ここは本当の別れではないので「さようなら」ではありません 笑)
    わけもなく不機嫌になる女の子の気持ち~( ´艸`)
    自由に夜遊びできる大人になっても忘れたくない いじらしい気持ちですよね~(*^^*)

    せっかく平賀さんが音づくりの話をしてくださっているのに 詞の話ばかりで恐縮です(^^)ゞ
    たくさんの音を絶妙に重ねているのに 詞の素朴さが消えないのも本当にすごい!と思います。

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  13. ippoさん

    音を絶妙に重ねているから 詞の素朴さが消えない …んですよね~♪
    カップラーメン食べながら気がつきました(笑)

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  14. NSPの平賀(ハンサム3号)さん

    歌詞に共感し、もの凄くいい曲だと思ったという女の子が多いのも事実。どちらかというと別れの歌の多かった作品の中で曲の最後まで恋愛ing的な歌詞だったというのも指示された理由の一つかもしれませんね…。なんとか自分を納得させようとしているんですが(爆)

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  15. スーこと 面影橋さん

    ippoちゃん (^^) そうそう そのフレーズに胸きゅんだよね~ 私も 大好きな歌詞だよ~
    七夕の今日 地元の神社にお参りに行ってきました。山々の緑が鮮やかで心が洗われるようでした。
    大好きな曲に 平賀さんから 曲にまつわるお話を聞かせていただいて
    想い出の中に また かけがえのない思いがプラスされ ますます 大切な曲になりました♪ 深いィです(*^^*)

    平賀さん~またいろんなお話聞かせてくださいね~(^-^)

    返信
  16. チャリ丸さん

    平賀くん
    nspの種を蒔いてくださってありがとうございます。

    私達だけじゃなく、平賀くんも一緒にnspの花を育ててくれるんですよね♪

    これからも天野くんの声に耳をすませて『天野くんのいるnsp』を届けてくださいね♪♪♪

    姫りんさんとすべころさんが『青春エンドレス』を聴かせてくださいました。

    平賀くんにお願いです。
    乱魔さんが切望していた喜多方コンサートの『さようなら』を、姫りんさんとすべころさんのように私達に聴かせてください。
    商品にするんじゃないから大丈夫ですよね。
    なんとかお願いします。
    m(__)m

    返信
  17. 花火さん

    ポチッとした bsジャパン
    1960~70年代フォーク&ニューミュージック
    nspは残念ながらランクインしなかったけれど
    高校時代ホームルームで歌っていた曲がズラ~リで懐かしかったぁ
    ちなみに一位 なごり雪 二位 時代 三位 神田川
    わたしは木綿のハンカチーフ(7位)がまさにリアルだったなぁ~
    解説?で冨澤さんが出演されていて、背面の壁にレコードジャケットが
    飾られていたんだけど、冨澤さんの左肩越しに 夕暮れ時はさびしそうのジャケットが~
    nspの文字も見ることができてうれしかったです。
    1974年 花もはじらう17歳 寝ても覚めてもnsp
    ラジオの深夜放送から聞こえてくる天野さんの声を聴きながら試験勉強してました。

    さてと明日はバアバ業に勤しみます(笑)

    返信
  18. スーこと 面影橋さん

    花火さんの書き込みを見て 録画してたから 観てきました♪
    何回も 夕暮れ時はさびしそうのレコードのジャケット写真 出てましたね~(^o^)花火さん 教えてくれてありがとう~\(^o^)/
    太田裕美さん 今も変わらず可愛いですね(^o^)
    私は 『いちご白書』をもう一度が 懐かしくて 今でも 大好きな曲です。
    alfeeの坂崎さんと高見沢さんの演奏で バンバンが歌う貴重なスリーショットに感激でした。
    でも ちょっとだけでもいいから 夕暮れ時はさびしそう 流れてきて欲しかったな~(^^;

    返信
  19. appleさん

    心が熱くなるお話ありがとうございます。

    1974年

    nsp、、
    知りませんでした

    井上陽水さんの、「傘がない」

    1973年、中学一年のとき
    お昼の給食の時に
    放送部が校内放送してて
    リクエストも受け付けていました

    傘がない、、衝撃、、
    衝撃を受けました、、

    それから
    井上陽水さんの「心もよう」のシングルレコードを
    買って。

    それから
    時がたって、、

    ラジオで
    聴いた

    「雨は似合わない」、、

    白い靴下に泥がついて、、
    可愛い、!

    そんな
    一瞬のシーンが
    こんなに焼き付くとは思っていなかった

    nspを知るまで

    そんな、一瞬のシーンが
    こんなに焼き付いていつとは
    思わなかった

    プログレを知って

    いろんなことが
    結び付きました

    お話ありがとうございます(*^^*)

    雨が続きます

    まだまだ
    どこで大雨が降るかわかりません

    どうぞ皆様
    お元気で(*^^*)

    返信
  20. NSPの平賀(ハンサム3号)さん

    相模原の施設殺人事件は自分が襲われたようで、痛いし哀しい…。もしも彼のご両親が不自由な身体の持ち主だったら同じことをしたのかな?施設への入居は究極、長く生きて欲しいから。僕の母親も施設に入って何年になるかな…。もちろん、もう…僕のことなど誰なのか分からないけども、僕は生きていてくれるだけで幸せだし、出来れば僕よりも長生きして欲しいとも思っています。そんな母親を殺めるような人間がいたら僕はどうするか「目には目を…」。考えただけでもぞっとします。そんな被害者家族が出てこないことを願いながら、事件を起こした彼のような高齢者を、今まで日本を背負ってきた高齢者をリスペクト出来ないような青年が現れないことを祈るばかりです。合掌。

    返信

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